飃の啼く…第21章(後編)-2
「皆、イライラしてるね…。」
狗族の一団とは離れたところに、私たちは座っていた。私の顔を気遣わしげに覗く飃は、今しがた起こった口論を鎮めてきたところだ。どんなにヒートアップした喧嘩も、飃が真ん中にわって入り、凄みのある声で一言言うだけで収まってしまう。青嵐に所属しているとはいっても、地位が高いのはもちろん八長の一人である飃だ。加えて、飃が本当にイライラしている時のあの顔と声で凄まれたら、挑戦的に言い返す気にもなれない。謝ってしずかにしているのが身のためだ。
「こんな場所に閉じ込もって、もう何時間経ったのかしら。」
おしりの下に当たる硬い地面のすわり心地を何とか改善しようと、茜がもじもじと動いた。そして、ため息をついて立ち上がる。
「立ってたほうが楽みたい。」
見上げる私のちょうど目の前に、一部の隙も無い朱に染まった、美しい鞘が見えた。茜の父が憎しみによって鬼になり、その鬼が自らの手で復讐を果たすためにさらに変化したという剣だ。見とれる私に、茜は肩をすくめた。
「剣道を習っておくんだった。薙刀じゃなくて。」
武器という武器を持たない私は、その言葉に笑ってこう言った。
「じゃあ私は空手に鞍替えしようかな。」
飃の七星が手元にあるけど、剣の扱いなどほとんど知らない私にとっては、危険物以外の何物でもない。まだ包丁か何かのほうが使い勝手がいいというものだ…毎日使ってるし。
「いつまでもそんなことでは、いざと言う時に自分の身が守れないではないか。」
私が七星をとろうとしないのに、口をすっぱくして注意をしてきた飃が言う。
「使い方なら教えてやったろう。」
「そんな、一週間かそこらで扱えるようになるもんじゃないってば。」
生まれながらの戦士である狗族と比べられては困る。取扱説明書があったとしても到底使いこなせないところはパソコンと似ているかも。要は勘と場数だ。
「人間は器の声を聞けないからな。」
茜の隣にいた風炎が言った。人間と狗族を二極化して考える彼の物言いに、いつものように茜が突っかかる。この二人の夫婦喧嘩は見ていて飽きない。
「じゃあ通訳でも頼めばいいわ。」
「また君は…」
でも、その言葉に風炎がなんと返したのかは聞いていなかった。
人間…。それとも、狗族。人間の社会に適応するように大きくなった私は、自分のことを人間だと思って生活することに、いささかの疑問も抱かなかった。だけど、飃が現れて、私の生活の大部分が狗族と関わるようになった。今でははっきりと、私の中にある狗族としての一部を感じることが出来る。そして、過去に度々私を支配した、理由のはっきりしない優越感、自信、そして、侮られた時に感じる炎のような怒り…それらが何故起こったのかも、今ならば説明がつく。
もし。もし私が、狗族としての半分と人間としての半分のどちらかを捨てなければならないとしたら、私はどっちを選ぶのだろう?この戦いに関わることを許されるのは、どうやら狗族だけらしい。だけど、私は人間である自分をいやだと思ったことは無い。狗族の自由で誇り高い生き方を羨ましく思うことはあるけれど。