辛殻破片『甘辛のエクリチュール』-6
「最初に……このナイフはなんだと思いますか?」
「……」
頭にクエスチョンマークを浮かべるふじやくん。 …そりゃそうですね。
「まあわからずとも…わたしとふじやくんがぶつかった瞬間、わたしのお腹にはナイフが刺さりました」
「……えっ」
「それでもこの通り、服は赤くなっちゃいましたが、生きています。 何故でしょうか?」
「………」
刃物が刺さっても死なない人間なんて滅多にいない。 相当な筋肉質の男性ならまだしも、わたしは女性なのだ。
でも…この場合は例外。
「…答えは簡単。 Simpleです」
左手の掌にナイフの刃先をぐぐぐっと押し付ける。
当のナイフの持ち主のふじやくんは驚いていたが、やがて呆気にとられたような顔を作り始めた。
「……あ…」
そう、これは『おもちゃ』だ。
手品などによく使われる、刀身が柄に引っ込むタイプの『おもちゃのナイフ』。
「ほんのちょっと軽い痛みがするだけで、何の変哲もないおもちゃです。 食材も上手く切れませんし、物体を刺しても刺せないナイフです。 フランスでも売ってましたからね」
「…………」
「じゃあ…わたしの服やこのナイフに付いてる『赤い液状のモノ』は何か…そろそろわかるはずですよ…?」
『目眩』が起きると視覚が奪われたり、『耳鳴り』が起きると聴覚の力が弱まったり、これらのような現象は人体において様々な影響を及ぼしてしまう。
尤も『興奮』は一時的に人間の感覚・理性を崩す現象であり、たとえば" 『嗅覚』さえも崩す現象である "…。
「…炊事の手伝いをして、ふじやくんは何を切っていたのですか?」
「………トマト……」
" ナイフ片手トマト片手に "…" 躓いてしまったら "…。
ふじやくんはあまりのショック故の興奮に気付いていなかった、その状況と、この匂いに。
「お母さんは…ぐったりとして目を覚まさないと言ってましたが、もしかしたら『勘違い』ではないのでしょうか…?」
躓いた拍子に『ぶつかる』ことだって無くはない。
もし後ろが壁だったとしたら、頭を『ぶつけて』、少しの間だけ失神してしまう例はたくさんある。
これで全てが証明された。
『東柑子』の表札が掛けられたその家は、至極普通の一軒家だった。
改めて思う。 雪柳家はやはり大きいのですね…と。
「…ふじやくん、わたしのこと、恐いおばさんだなー…とか、思ったりしました?」
「…いっ…いいえ、そんなことは…ないです」
言いつつも目は伏せ気味で、少なくともわたしには嘘をついてるように見えた。
「まあ…当たり前の結果ですね。 …でも、ふじやくん、最後だからこれだけは聞いてほしい」
どんなに嫌われようとも後悔はしない。
あとはふじやくんに大切な『罪』を気づかせてあげることにより、わたしの役は終了する。