辛殻破片『甘辛より愛を込めて』-9
「あ」
動きがぴたりと止まり、頭だけ振り向かせて一言。
「…ご飯は聖奈にお願いします…」
雪さんは風のように走り去っていった。
やはり僕の勘違いだったのかもしれない。
リビングのテーブルを囲むイスに一人、凪がぽつんと座っていた。
「ショウちゃん」
「ん?」
あくまでも優しい声質。 さっきよりかは大幅に変わっている。
玄関まで繋がる通路を指さし、話し始める。
「…あれ…キレイな人…の、名前」
「聞いてないの?」
「いや…」
小声で笑ってしまった。 いつものことだけれど。
たとえどんなに変わっても、大人の女性に対して素直に「キレイな人」って言うところは変わらないのか。
「…由紀奈さん」
「そう、由紀奈さん。 凄い顔して出ていったけど、ショウちゃん、なにかした?」
最後の辺り、唇が強調した動きになっていた気がする。 …気にしたら負けだな。
「『何か』ってさ、たとえば僕に『何か』あったら、君はすぐに反応して飛んできたり…するよな。 前科だってたくさんある訳だし」
「うん」
「飛んでこなかったってことは、何もなかったってこと。 …大学生は忙しいんだよ」
「……ふーん」
少しだけ寂しさを感じた。
本来の凪なら冗談混じりに僕をとことん追求してただろう。
「○○してたんじゃないですか?」とか、放送禁止用語を使ったりしながら。
なんだかんだで、あのやり取りは僕達のデフォルトな日常だったらしい。
しかし妙だ。
自分で言った理屈だが、微妙に矛盾があるような…。
" 僕に『何か』あったら、凪は『反応』する "?
……引っかかるけど、今考える必要はないか。
「お腹すいた」
誰かに言った訳でもなく、凪自身がそう呟いた。
「人様の家だしなぁ…いずれ帰ってくる聖奈さんに頼むしかないね」
「はぁぁ……」
上体を伸ばして机に撓垂れかかる凪。
そういや凪のこんな姿は滅多に見られるものじゃない。 カメラでもあれば、この有様を撮影し『凪』に見せて赤面させることが出来るのに。
いや、不謹慎だ。 尤も" 前提条件が『凪が元に戻る』場合の話 "だった。
そうだ、現実を直視しろ。 落ち着くんだ、クールになれ。
様々な問題がありすぎて混乱の錘に押し潰されそうな僕だが、まずは絞りに絞って整理しよう。
僕の養父のことはもう仕方がない。 一人でどうにか出来たらいいんだけど…そうだな、とりあえず皆に話だけはしておかなくちゃいけないか。 …あと透にも聞かなくちゃ。
そして凪だ。 あいつに異変が起きているのは誰が見ても一目瞭然。 自分のことよりも凪を優先して解決させないと…自分勝手な言い分かもしれないが、僕の精神が保たない。
" 心配だから "という理由だって、言われずとも。
ああ、今日の学校はテスト三昧だったっけ。 …ま、それはそれで諦めるとして。