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残酷な『愛』
【悲恋 恋愛小説】

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残酷な『愛』-1

「好き」「大好き」「愛してる」「ILOVE YOU」…
 『愛』を伝える為の言葉は、世の中、吐いて捨てるほどある。
 だけど、彼女が僕に与えた『愛』の言葉は、立ち直れないほど深い『愛』で溢れていた。

「何でこんなになるまで放っといておいたんですか!」
 怒鳴りながらも半ば呆れた口調で叱咤する担当医に『すみません』と繰り返し、頭を垂れるしかなかった僕。
―『癌』…―
 何時間も、何時間も、溢れる涙を我慢していたせいでこめかみあたりがジンジンしていた。
―抗がん剤を使っても余命半年―
 それが、僕と彼女に突き付けられた現実だった。
 古い人間だと思われるかもしれないが、僕は、告知を拒否することに決めた。
 彼女に早く死んでほしいわけではない。
 ましてや、お金が惜しいわけでもない。
 抗がん剤を使って、癌が治るのであれば、どんなことをしても、助けてやりたい。
 だけど…何度説明を受けても、どんな本を読んでも、彼女の癌が『治る』とは誰も言ってはくれなかった。
 もし、抗がん剤を使って、副作用のせいで毎日苦しい思いをし、わずかに延命したところで、その結果一体僕たちに何が残るのだろう…。
 抗がん剤を使わないのなら、告知して、癌と戦う必要などないと僕は思った。

 彼女には、腰痛を放っておいたから、ヘルニアを発症した。辛くても、しばらく安静にしていれば治ると説明してもらった。
 僕は、仕事が終わると、一目散に彼女のところへ向かう。
 部屋の前へ来ると、深呼吸をひとつ…そうしないと、平常心を保てる自信がなかった。
 飛び込む僕に、彼女はいつも、元気に笑いかけた。
「見て見て、コレ。素敵な写真よね…「風の盆」ですって。綺麗な言葉ね」
 部屋へ入るなり、彼女は僕のスーツの袖を掴んで手繰り寄せ、浅葱色のハードカバーの分厚い本を差し出した。
 それは、富山の八尾という町で9月に開かれる行事『おわら風の盆』の写真だった。
 涼しげで、また悩ましげな赤い浴衣に身を包み、編笠の間から少しだけ顔を覗かせた妖艶で優美な女性たちが、格子戸のある旅籠宿や土蔵造りの民家の佇む仄暗い夕暮れの町並みを、淡い橙色のぼんぼりの灯に照らされて、しずしずと踊る姿が映し出されていた。
「今年は、スキーは無理っぽから、ココに行こうよ。越中八尾…かぁ。ちょっと遠いかな」
 クスッと笑い、本を胸に抱いて、窓の外に目をやる彼女。その夕陽に照らされた綺麗な横顔を、胸に焼き付けようと凝視した。
 だけど、僕の視界はすぐにぼやけて、彼女の顔は見えなくなっていった。

 僕が彼女の癌を宣告されて、半年と3日が過ぎた、夕暮れ…
 いつものように、仕事が終わって病室に駆け込んだ僕に彼女は、やっぱり、いつものようにニッコリわらいかけて、一言こう言った。
「よかった…あなたじゃなくて、私で。本当によかった」
 『何?』と聞き返す僕に、彼女は静かに首を振って、ニッコリ笑っていた。
 その時は、どういう意味かわからなかったが、どこか胸騒ぎを誘う言葉だった。

 それから2日後、彼女は昏睡状態に陥った。
 そして、更に2日後……―
 それは、本当に『眠るように』という言葉が似合う最期だった。
 涙を流す暇さえないほど、あっけない別れ…

 僕は知らなかった。
 だって、彼女は面会時間が過ぎると僕を病室から追い出した。
 『仕事頑張ってね』と投げキッスをよこしながら…
 だから、すでにモルヒネさえ効かなくなってしまった身体の彼女が、夜中に幻覚や幻聴の中で、口に出来ないような汚い言葉を吐きながら、叫び、もがき、苦しんでいたなんて、知る由も無かったんだ。
 だって、僕の知っている彼女は、最後まで、可憐で美しい『彼女』そのものだったから…

『あの旦那さん、鬼よ!ひどいわよね。奥さん、抗がん剤を使えば、もっと長生きできたんですって…』
 葬式の間、四方から飛び交う罵声。
 皆、僕が涙ひとつ流さないのが気に入らないのだ。
 だけど、今の僕には、そんな戯言などどうでもよかった。
 呆然と遺影を眺めていた僕は、無意識にふっとカレンダーに目をやった。
 九月一日……。
 その日付を見た僕の身体は、弾かれたように立ち上がる。
 遺骨を持ち出そうとする僕を、慌てて押さえつける親族をなぎ倒し、飛び出した。
『俺の妻だ!俺が連れ出して何が悪い!』
 日頃物静かな人間が、怒鳴ると、周りは息を飲んで固まってしまうものだ。


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