ずっと、好きだった(5)-1
「おかえり」
ただいま、という当たり前の挨拶をする権利さえ無い気がした。
さっきまで、私は違う人の腕の中にいたのだ。
「…なんで外にいるの?」
秀司には家の合い鍵を渡してある。
なのに、この寒空の下、彼はわざわざドアの前で私を待っていた。
「少しでも早く紀子に会いたくて」
彼の甘い冗談が、私の胸を刺す。
まっすぐに、彼の目が見れない。
「…ほんとは、なんか嫌な予感がしたから」
彼の声色に、すっと真剣味が帯びた。
「電話しても出ないし。何かあったの?」
私は秀司への罪悪感に胸を痛めるのと同時に、自分の薄情さに愕然とした。
こんな時なのに、悠紀の顔が浮かんでしまうのだ。
彼は何度も『大丈夫』だと私を宥めてくれたが、全然大丈夫なんかじゃない。
あんなに彼を傷つけて、秀司を裏切って、大丈夫なはずはない。
「男ものの香水」
秀司が呟く。
「恋人に会う時は、相手の匂いを消してから。これ、‘浮気’の鉄則だよ?」
はっとする間もなく家の中に連れ込まれ、閉まったドアに背中を押し付けられる。
「もしかして、相手の男から『ノリ』って呼ばれてる?」
「しゅう…」
「まぁ、いいや。昔は俺も散々やってたしね。今回だけは許すよ」
乱暴なキスが私の唇を塞ぐ。
まるで、悠紀の残り香を拭い取るように。
「しゅうじ…やめっ…」
「浮気、だろ?」
「やだっ」
「それとも…」
秀司は、私の目を見つめた。
「本気?」
彼の唇が、震えている。
耐え切れずに視線を逸らすと、彼は身体を離し、長く息をついた後、ぽつりと呟いた。
「紀子に‘浮気’は無理かな」
「秀司…」
「どうしたい?」
彼は壁に寄り掛かり、ぼやくように言う。
「…俺は、紀子が好きだよ…」
そんなの、知ってるよ。
ずっと、一緒にいたもん。
「やっぱり、言わないで」
秀司は無理に笑うと、私の右手を握った。
「ごめん…ごめんね…私…」
「言うなって」
手を引かれ、抱き寄せられる。
彼の鼓動は、いつもよりぐっと速い。
「わかっちゃうんだよ、紀子が何て言うのか」
彼もまた、私をよく知っている。
私の好きなこと、苦手なこと、笑いのつぼ、直せない癖、欲しい言葉。
彼の隣は、どんな場所より心地良い。
でも、こんな温もりをもらえる資格、私にはもう無い。
私は彼の腕を解き、真っすぐにその目を見つめた。
「…キスしようか」
沈黙を破ったのは、秀司のそんな言葉だった。
「最後のキスがあんな無理矢理なんて、悲しすぎるでしょ?」
最後。
その二文字が、私に重くのしかかる。
だって、好きだった。
私は秀司が大好きだった。
彼の唇が、そっと、優しく私の唇に触れる。
ごめんね、秀司。
今まで、ありがとう。
私たちの最後のキスは、涙の味がした。