飃の啼く…第19章-1
「人間にとって最大の敵は人間である。」
この言葉を痛感していた。今、この瞬間、私のたかだか十数年の人生において今までであった者たちの中で、最も邪悪なる敵は人間だ。そしてこれからもそうなのだろう。記憶を消し去ることは出来ないのだから。次に記憶する事柄を私たちが選べないのと同じように。
耳鳴りが私の脳に迫ってくる。白み始めた空は薄く曇り、円なはずの天を平らに見せていた。そのスクリーンのような空に、影絵のように人影が立ち上がっている。屋上に立つその影を見た瞬間、体中の血液が倍の速さで巡り始めた。
怒りは、他の感情の全てを圧倒していた。恐怖は薄れていた。それが、昨日の晩から私の頭の中に垂れ流されているアドレナリンのせいなのか、はたまた自らの愚かさゆえかはわからなかった。私は、九重の刃を小惑星のように自分の周りに漂わせて、一歩ずつ、病院へ近づいていった。
「ようこそ!我が白亜の城へ、お嬢さん。しかし…招待状を出した覚えはなかったが?」
わざととぼけた口調で、影は言った。
「白々しい真似はやめて。」
私はきっぱりと言った。歩みを進めるにつれ、影の中身は明らかになってくる。
「白亜?城?聞いて呆れる。ただの廃墟じゃない…あんたにはお似合いだけどね!」
獄は、馬鹿丁寧に中世の騎士風のお辞儀をした。
「お褒めに預かり光栄だがね、我が城へ入るにはちょっとした…料金が必要でね…そうだな、“正気”なんてどうかな?君にあればの話だが。」
「そう言って一人で小山の大将を気取っていればいい、獄。飃も茜も返してもらう。私がお前に払うものは何もない!」
そして、九重の花弁を獄に飛ばした。キュウと弧を描いて、全ての刃は迷うことなく獄に向かった。流星にも似たその斬撃を、彼はかわそうともしなかった。
「ほうお、変り種で来たかね…」
全身を貫き、確かに動脈をも捕らえたはずの花弁は、さくらの元へ戻ったときに血の一滴も付いていなかった。
「だがあいにく、“私も”変り種でね…」
そして、屋上のヘリに足をかけ、何の躊躇もなく地面に飛び降りた。
普通の人間の足なら複雑骨折でもすまないような高さから降りても、獄の足はふらつきもしなかった。
「払うものは何もないといったな?」
獄はこっちに向かってきた。足に絡みつく小竹を蹴散らし、獲物を定めた肉食獣のようなしなやかさで。
「だが、“何かを手に入れるには何かを差し出さなければならない”。これは真理というものだ。違うか?」
獄は、私が次々に繰り出す九重を、まるで案山子が風に吹かれるくらいに受け止めてこちらにどんどん近づいてくる。
「手に入れるだと…飃も茜も、誰のものでもない!!」
獄は歩みを止めた。