4月1日-1
目が覚めた。
昨晩から降り続けた雨のせいだろうか。
空気がやけに透明で、まるで僕の部屋だけが氷で創りかえられたかのような、厳かで冷たい朝だった。
布団に寝転んだまま、僕は目線だけのろのろと動かす。
うっかり煙草で焦がしてしまった畳の痕。
日に焼けて色褪せてしまったカーテン。
見慣れたものまで、神聖なものに生まれ変わったようだ。
僕はいたたまれなくなって、そっと目を閉じた。
何時だろうか。
時間を知ることで現実との接点を見出だしたい僕は、また、のろのろと視線を移動させはじる。
そして、ある一点に僕はくぎづけになった。
目覚まし時計のある学習机。そこだけ空気が震えた気がした。
それはとても微かで、通常なら確実に見落としてしまう程の、小さなちいさな変化。
『彼女』がそこにいる。
僕はなんとなくそう思った。
「おはよう、ちはる。」
掠れた僕の声が部屋中に響く。
見えない『彼女』は、少しはにかんで僕の名前を呼ぶ。
『おはよう、修ちゃん』
聞こえるはずのない『彼女』の声が、大気に溶けて僕を包んだ。
不思議と恐怖はなかった。
ふわふわと温かくて、少しも変わることのない『彼女』の気配に、僕は思わず泣きそうになった。
話たいことは山程あったのに、何だかどうでも良くなって、『彼女』のつくる沈黙が心地よくて、ただ愛おしくて、僕は言葉をしまいこんだ。
どのくらいの時間が流れたのだろう。
数時間かもしれないし、ほんの数秒の事だったのかもしれない。
沈黙を破ったのは僕の方だった。
「またね。」
何故、そう言ったのだろう。
でも、あの瞬間。
どんな言葉よりも相応しいと思えた。
それに『彼女』も答える。
いつもと変わらない優しい笑顔で。
「またね。」
その瞬間、地鳴りかと思う程けたたましいアラーム音が、氷の世界を一瞬で打ち砕いた。
慌ててアラームを止め、『彼女』が居た方を見やる。
そこにもう『彼女』はいなかった。
僕の部屋は、見慣れたただの部屋に戻っていた。いつもと変わらない日常。
ただ違っていたのは、彼女の立っていた場所に、ピンクのちいさな花びらが落ちていたという事。
ちはる…たくさんの春を大切な人と迎えられるようにと名付けれた僕の幼なじみ。
しかし、彼女は16回目の春を迎えることができなかった。
やわらかい花びらを大事に机にしまいこむと、カーテンを勢いよく開けた。
やわらかい陽射しが部屋全体にやさしく降り注ぐ。
春が来た。と、思った。
END