飃の啼く…第16章-1
菊池 美桜は、奇しくもわたしと似て居た。
名前にさくらがあるのもしかり、年齢は私の一つ上。一人暮らしで……そして…
あれは、きわめてこの国らしくない気候が私の街を覆った、ある日の出来事だった。九重が悲鳴を上げ、飃は不在であり、私の心を保っていた盾に入ったひびが、枝を延ばす木のように着実に広がっていた…そんなある日の出来事。
テレビは大きく報じるだろう。あの日の出来事を。ケバケバしい音楽に乗せて、まるで我々は全ての真相を把握して居るとでも言う様に。コメンテーターやアナウンサーが、訳知り顔で神妙にうなずき、一刻も早い事件の解決を、と締めくくる。
だが…誰にも分かりはしないのだ。なぜ彼女が殺されねばならなかったのか。なぜ殺される必要があったのか…そして…
どうして殺されたのが…菊池美桜と言う名の娘で無くてはならなかったのか。
私では無く。
底の磨り減った革靴を、慎重にアスファルトに乗せる。抜き足差し足よりもっと慎重な歩みで、獲物に近付いてゆく。あと5歩…4、3、2…
「あっかね!」
腰を目掛けて蹴りをお見舞いする…つもりが
「甘い!」
フワリと避けられて、私はその場でよろめいた。
「だぁぁぁ…今朝も失敗した!!」
このやり取りが、私と茜の日常風景だ。
「何でバレた?今日はばっちり足音消したのに…」
「鼻息が丸聞こえなんだよ!」
…こんな馬鹿げた会話を交わせるのは茜しか居ない。中学校でもその前でも友達はたくさんいたけど、堅苦しい名門校での生活において、茜の存在はオアシスだと言っても過言では無い。
「あー…今日は1限目から英語だ…」
まるで今から1年間兵役に付かなければならない人間が発するような声で、私がこぼす。茜が、私の大嫌いな英語教師の物真似で言う。
「んふん!ミズ・ヤジョゥ、貴女あと2回休んだら単位…」
「「エフ!!」」
特徴的な、そして嫌味ったらしい声色は明らかにやり過ぎだったけど似ていた。学校への道をのろのろと歩く他の生徒達と、朝から元気に爆笑する私達は、傍目から見ても骸骨とソウルシンガー程の違いがあった。
「茜ぇ〜?」
私がふざけて甘える声を出す。振り返った茜は、さあ始まった、という表情で私を見返す。
「後2回休んだら単位Fでしょ。」
私よりほんの少し真面目な茜は、私にとってはノリのいい姉のような存在だ。最後に踏み止どまらせるのも茜、最初の一歩を踏み出させるのも茜なのだ
「今日は英語ないもん。」
「嘘?先生がそう言ってたっけ?」
予言者のように厳かに言う。
「…そんな気がする…」
「な〜んだそれ。」
私は依然真っ白な課題のプリント(しかも英語の)から逃げ出したくて、それと、もう一つの理由で茜を引っ張った。
「行こ?グランデしようよ、グランデ!」
私達の中で生れた新しい動詞『グランデする』とは、コーヒーのグランデサイズを飲みに行くという意味だ。
「…グランデ〜?」
明らかに魅かれている。
「新しいフレーバーも出たしさぁ〜!」
後一押し!
「……行っちゃう?」
かくして私達は、日差しが気持ちいい初春の朝を、テラス席でのんびり過ごすことになった。