飃の啼く…第16章-13
テレビはつけっぱなし、夕飯の準備なんてもちろんしていない。そして、飃も居ない。月も隠れるこんな夜には、澱みが多く姿を現すのは知っていた。私は、とっくに私の声にこたえなくなった九重を手にとって、家を出た。ハンメルンの笛吹きのように、動きの鈍い澱みたちを誘いながら学校へ向かう。
沈黙した九重の変わりに、私をせきたてたのは何だったか?私はとにかく、心の中の何かが狂ったように唸るのを感じていた。
うわん、うわんと。
その雑音に意味は無い。意味は無いけど、確かに私を急かしていた。
何かの淵へと。
屋上に立つ。澱みは、校庭の三分の一を埋め尽くし、校舎の中にもかなりいた。いや、おびき寄せた。
―うわん、うわん。
「ええ。解ってる。」
私は、九重を構え、念じた。私の体の回りを、花弁となって舞うように。
九重は再びくだけ、細かい破片が太陽の周りの惑星のように私を取り囲み、回転した。
私は、深く息を吸う。
「よく聞け!!」
こんな声が自分から発せられるなんて、想像もできなかったほど凶暴な声が、夜の静寂を引き裂いた。
「私を殺したいのか、蛆虫共?!やってみろ!その愚鈍な頭で思いつく限りの策を弄して、この私を殺しに来るがいい!!私は死なぬ!なぜなら私は、臆病風に吹かれた哀れな女などとは違うからだ!!私は、狗族八長武蔵が長、飃の妻にして呪いの薙刀九重の使い手!!さあ来い愚暗なる塵芥共!殺しに来い!!」
そして、走り出した。
堪らなく、愉快だった。
深夜を過ぎてうちに帰った飃は、私の不在に驚き、急いで探しに出たのだという。そう遠くを探すまでも無かった。尋常ではない数の澱みが、学校を目指して行列を作っているのを見つけたから。学校で彼が何を見たのか、私には教えてくれなかった。そう、私は自分が何をしていたのか全く記憶がないまま、気がついたら飃の腕の中に居たのだ。
「飃…。」
ぼんやりと名前を呼ぶと、彼は怒っているような短いため息をついた。
「ここ…どこ…」
飃の足音がこだましている。家ではない。まだ、目がぼやけていてよく見えない。
ガラガラ、という音には聞き覚えがあった。ここは…まだ学校なんだ。飃が開けた扉は保健室のドアで、私はようやく自分が居る場所がわかった。