ICHIZU…Last-17
「そいつは1球の重さ、恐さを垣間見た。しかし、まだ気づかないでいた。準優勝になって高校の地元に帰り、連日の祝賀ムードに酔いしれていた。
〈オレが居ればいつでも優勝出来る〉そいつはいつの間にか自分を特別な存在と思うようになった。
それから、そいつは練習をサボるようになった。だが、指導者も上級生達も何も言わなかった。
甲子園での成績が、そいつの存在あればこそと思ってしまったからだ。
そして、その年の冬。そいつは野球部では禁止されているクラス・マッチに出場し、ヒザの靭帯を切る大ケガを負った……」
藤野は遠くを見つめて深く息を吐くと、静かな口調で続けた。
「そいつは手術やリハビリを必死にやった。もう一度、マウンドに立つために。しかし、元には治らなかった。
その時、初めて1球の重さ、恐さを知った。初めて〈楽しい〉だけと思っていた野球と向き合ったんだ……」
佳代は藤野の顔を見た。話し終えた彼の顔は晴れやかに映った。
佳代は訊いた。
「その人はその後、どうなったんですか?」
藤野はチラッと佳代を見ると、また正面を眺めて、
「そいつはその後、一度も投げる事無く高校を卒業した。
だが、野球への情熱は以前より高まった。今は指導者として野球に関わっているらしい……」
そして佳代を見つめて、
「オマエもそいつと同じさ。1球の重さ、恐さを知ったところさ」
藤野の言葉を受けながら、佳代はうつ向いて黙ってしまった。
だが、藤野は構わず続ける。
「どうせなら、その重さ、恐さと正面から向き合って見ないか?
野球にトコトンのめり込んでみないか?」
「…でも……今さら…」
藤野の言葉に、佳代は明らかに戸惑っていた。
藤野はその表情を見て、さらに説得する。
「誤りは正せばすむ事だ……」
藤野はクルマのシフトをロォに入れると、ゆっくりと発進させた。
ー夕方ー
直也は練習帰りに佳代の自宅へ向かっていた。
「直也…」
そう呼び止めたのは彼の兄、信也だった。
「何です?」
「こんな大勢で行って、迷惑なんじゃないか?」
そう言った信也の周りには、2、3年生の主力クラス20人程が、ゾロゾロと連なっていた。
「昨日、オレが一人で説得に言ってダメだったんですから。これだけ大勢で言えば、少しは気が変わると思うんですよ!」
直也は自信あり気に皆に伝える。それを聞いた信也は両手を広げるジェスチャーをしてから皆に言った。
「仕方ないな。ここは直也の顔を立ててついて行こう」
行列よろしく一行は、佳代の家へと向かった。
藤野のクルマは佳代の自宅近くの広い通りに停まった。
ここからだと自宅の玄関が見える。