飃の啼く…第13章-6
「あの獣は…狗族の間では『あなじ』と呼ばれている。」
「あ…なじ?」
飃はうなずいて、仰向けになると、腕を枕に天井を見つめた。
「狗族の血を継ぐものならば、必ず心の何処かにあなじを宿していると言われている…実際に、己以外のあなじ宿しには会ったことが無い…ありがたいことに。」
自嘲的な最後の台詞に、私は首をかしげた。
「なんで?飃の中には…その、あなじが居ても大丈夫じゃない。どうして他の狗族じゃ駄目なの?」
飃は、長い前髪を束ねる赤と白のビーズを私の目の前に持ってきた。
「この封環だ。これがあいつを押さえつけている限り、完全に奴に乗っ取られることはまずない。しかし…普通の狗族があなじを目覚めさせてしまったら…一生その影におびえて暮らすか、或いは完全にり意を失ってしまうか。どちらかだ。」
「え?これ…封印なの?」
素っ頓狂な声を上げる私を、飃は方眉を上げて見た。
「なによぉ・・・飃が黙ってるから解らないんじゃない。」
ふくれっつらの私の頬を、飃はふっと笑ってつついた。
「すまない。」
私も釣られて微笑んで、飃に抱きついた。
「いいの。ほんとは凄くうれしいの。昔のことを話してくれたから。」
冬の夜に、世界中で一番心地良いこの場所があって、それは隣に飃が居るからなんだと言うことを、不意にとても意識した。
「例え飃がそんなのを飼ってたって…怖くなんか無いよ…だって…わたし……」
その続きを言い終わる前に、私は眠りに落ちていた。
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【酒を酌み交わす楽しい日常は去った。
…彼が私を拒絶した次の日、彼が向かった試験は、あえて受けて立つ生徒の居ない、帰らずの試験だ。
決して日の当たらぬ山の影。そのどこかに居て、人を食う機会をうかがっている檮杌(とうこつ)を退治する試練。
挑んだものは数知れず、帰ってきた者は無い。檮杌とは、虎に似た体に人の頭を持っており、猪のような長い牙に、長い尻尾を持つ、凶悪な妖怪だ。戦う時は退却することを知らない。どうしたらそいつを倒せるのかも、知るものは無い。
彼がその危険な影に赴いて1ヶ月。誰もがやつは死んだと噂した。物好きな生徒が生きているか死んでいるか賭けようと持ちかけてきた。
死ぬほうに賭けた。死んでいたほうがいい。苦い屈辱の記憶を拭い去れないまま、そんな邪悪な願いを抱いていた。】
『ゆけ…終に残りし一匹よ。』