『ショート プログラム』-5
『ブラック』
小さな頃、私は好き嫌いが多い子供だった。リョクオウショクヤサイが苦くて嫌だったし、鳥の皮が嫌だった。うどんは好きだけど蕎麦は嫌いだった。牛乳も嫌い、紅茶も嫌いで、でもコーヒーが好きだったので、朝食の時母親は私になにを飲ませるか途方に暮れていた。母は子供にコーヒーを飲ませることは良くないことだと信じきっていたから。それに当時私は塩辛くて油っぽいもの(健康に悪そうなもの)が好きで仕方なかった。きっと世話の焼ける子供だったに違いない。
前に付き合っていた人と別れようとした時(その男はいささか理性的に過ぎる男で、そこが好きで付き合ったのだが、嫌いになったのもそれが原因だ。上手くいかないものだ。)、彼がおかしな喩えを持ち出して私を説得しようとした。もう私のことを好きでいるのは止めてくれ、とか私が言ったことに対して。
「でも、好きだっていう気持ちは、意思じゃどうしようもない領域にあるんだ。例えば僕がパンが好きだったとして、でもパンを突然嫌いになれといわれても僕の舌は相変わらずパンを食べた時に美味しいと感じる。それは意思とは無関係に。それはもう感覚とかそういった領域に属するんだ。それと同じように、僕はきっと君の事を好きで居続けてしまうと思う。」
そう、そんなことを言った。
彼はきっと、自分がどれだけ私のことを好きなのかを説こうとしたのだろう。でも私は彼のそういうところにうんざりしていたのだ。それに、彼の例えは全然私を納得させるものじゃなかった。
だってその時私はすでに、緑黄色野菜も鳥の皮も蕎麦も牛乳も紅茶も好きになっていたし、塩辛くて油っぽいものが少し苦手になっていたからだ。
でも、どういうわけかコーヒーだけは今でも変わらず好きだ。
今も傍らに、コーヒーの入ったマグがある、繊細そうな湯気と一緒に親しみ深い香りを私に届けてくれる。
コーヒーを飲むたびに、ひょっとしたら、消費されることの無い本当の愛というのも探せば見つかるのかもしれないと思う。