蝉の鳴くこの街で-2
「公安警察だ」
「なにそのギャグ」
私の問掛けには一切答えず、和也はドアを開いた。
真っ白な室内はがらん、としていて殺風景だった。他の患者は皆どこかへ出ているらしく、部屋の奥には彼が一人、いた。
亮介は読んでいた雑誌から顔をあげ、軽くはにかんで私達を迎えた。
「二人とも、本当に暇だよねぇ」
栗色の髪の毛に雪のように白い華奢な肢体、大きな瞳と長い睫毛が印象的な男の子。
きっと、彼は生まれてくる性別を間違えてしまったに違いない。顔のパーツを見る度にそう思う。
「せっかく見舞いに来てやったのになんだその言い方は。二度と来ないぞ」
「わっ、そういうつもりじゃないよ!」
「病人にプレッシャーかけてどうすんのよ」
和也の頭を軽く叩く。
「可南子、すぐ人の頭を叩くのはよくないぞ。いくらアレの日でイライラしてるからって、そりゃあない。なんなら後でいい物をやろう。多い日も安心だ」
「そうそう、ゼリーとか買ってきたんだけど食べる?亮介、好きだったよね」
「…相変わらず気持ち良いくらいのシカトっぷりだね」
苦笑いを浮かべながらゼリーを受け取る亮介。
「ありがとう。そういえば、今日はいつもより来るの早いね。どうしたの?」
「自転車がパンクしたからバスで来たのよ」
普段は自宅から病院まで約三十分かけて、自転車で来ていた。しかし、今朝自転車を見るとタイヤがべっこべこにへこんでいたのだ。
よくよく考えてみれば最後に空気を入れたのは半年以上も前の話で、今まで保っていたことのほうが不思議でしょうがない。
「それで、可南子が原因で急遽バスを使うことになったのにな。俺がちょっと遅刻してきただけで、もうご立腹。お詫びのコーラもぶちまける始末だ」
「…時間を指定してきたくせに遅刻したあんたが悪いんでしょ」
思いきり睨みつけてやるが、和也は意にも介さない様子でひょうひょうとして笑っていた。
と、思ったら急に何かを思い出したように鞄をテーブルの上に置いた。
「そうそう。今日は俺も土産を持ってきたんだ」
ガサガサと何かを取り出す。
「本当!?嬉しいなぁー、なになに?」
「エロ本」
ばっ!と勢いよく突き出された雑誌には「濡れた」「人妻」「淫乱」「JK」などの文字と共に裸の女の人が写っていた。
「ちょっ…!いらないよ!看護婦さんに見つかったらどうしろっていうんだよ!」
「喜べ、しかもナースもののエロDVD付きだ」
「病院に居づらくなるよ!」
◇
私達はいつも三人だった。幼馴染とか親友とか、形容はなんだっていい。とにかく私達はずっと一緒だった。
幼稚園、小、中、高と共に通い、過ごしてきた。さながら、それは実の兄弟のようだった。
河原に秘密基地を作った春の日も、深夜のプールに飛込んだ夏の日も、焼き芋をやろうとしてボヤ騒ぎを起こした秋の日も、石を入れた雪玉で雪合戦をして流血事件を起こした冬の日も。
私達はずっと一緒だったのだ。
でも今年の春、亮介は病気になった。病名もなんだか難しくて私にはよくわからなかった。理解できたのは、そう長くないってことだけ。医者にも手の施しようがなく、もうどうすることもできないらしい。
けれど、現実感はわかなかった。
───亮介がいなくなる。それが、私にはわからなかった。
助かる方法は、例えば、そう。
もし奇跡なんてものが起きたら、亮介は助かるのかもしれない。
夕飯の時間になったところで、私達は立ち上がった。
「じゃ、また明日来るからな」
「うん、待ってるよ」
「またね」
微笑む亮介をひとり、室内に残し、ゆっくりとドアを閉めた。