神の棲む森-6
気付くと自分の部屋のベッドに寝かされていた。一瞬、今までのことが出来の悪い夢のように思えたが、壁に見知らぬポスターが貼ってあるのを確認すると、ここがいつもの僕の部屋でないことが理解できた。
ギィ
ドアが開けられる音がした。
「親父?」
「ん?目が覚めたのか」
布団から出ずに、顔だけを親父の方へ向ける。
「僕はどうなるんだろう」
漠然とした問いだけが、ぷかぷかと浮かぶ。その消え行くさきを、僕は見届けることが出来るのだろうか。
「ひとつ大事なことを言っていなかったよ」
親父はそう言いながら、僕の机に寄りかかった。
「さっき病院に行って来た」
どうやら意識を取り戻しそうなんだ、親父はゆっくりと言った。
「誰の?」
「俊一の意識だ」
僕は視線を天井に向けた。単調なその模様と、複雑な僕の立つ場所。
「つまり、僕は死んではいなかった、と」
「あぁ。事故後はずっと意識不明の昏睡状態だった。それが、ついさっき、短い時間だけ目を開けた。担当医の話では、もう大丈夫だそうだ。時間とともに意識も記憶もクリアになっていくだろう」
「それじゃあ、僕は」
しばらくの沈黙。
「俊一が自分を取り戻したとき、お前はこの世界から消える」
どちらかの口から言わなければならなかった、その言葉。
つらい宣告を、親父は目を閉じながら呟いた。
「そうだ、ね」
言って僕はベッドから身を起こした。
「ありがとう、父さん」
そして右手を差し出した。
もう、いつ消えるのか分からないこの身だ。やり残しの無いように。
「・・・大丈夫だ。死ぬわけじゃない」
差し出された手を握り返さずに、親父は僕の体を抱きしめた。
そのあまりの強さに、僕は涙を落とした。
「この世界の僕をよろしく。・・・あいつ、馬鹿だから、きっと父さんの想いに気付いていないんだ」
更に親父は強く抱きしめる。
「あぁ、うまくやるさ。もう失うのは懲り懲りだ。誰も失いたくない。何も失いたくない。命も、絆も、未来も、自身も。かつては在ったモノだ。だからきっとまた創れる」
幾重もの結び目を成すように、親父は固く誓う。
「お前は何処に行くのか、私には分からない。可能性として最も高いのは、元の世界に戻ることだろうが、それさえも確かなことではない。無限に広がる並列世界が可逆なのか不可逆なのか、真理は見当も付かん」
「僕が確かめるよ」
僅かな肩の震えを、親父は感じ取った。
「怖いか?」
「怖いよ」
「この世界に留まりたいか?」
僕は考える。ここには分かり合える家族があり、愛し合える恋人がいる。だから、僕は。
「いや、出来るならば戻りたい。元の世界に」
そう、ここには、ここにいるべき人がいる。
そして僕には、僕の住むべき場所がある。
「父さんと一緒さ。僕も失いたくない場所がある。きっと待ってる。元の世界で、僕の帰りを待ってる」
「・・・そうだな。そうだ」
僕らは体を離した。そして握手を交わす。
「お前がこの世界に移ってきたのには、何か意味があったのかもしれんな」
神の棲む森、と僕は思う。
理詰めの親父には言えないけれど。
きっと僕らを引き合わせたのは。
「もう時間は残されていない。もう一つ、やり残したことがあるんじゃないのか?」
親父は言う。
「あぁ、分かってる。それじゃ、美杉さんのところに行ってくるよ」
あぁ、それとな。親父は言いながら大きな封筒を僕に差し出した。
「もし仮にお前が元の世界に戻ったとしたら、私にそれを渡してくれ」
「何?」
「今回のことについての物理的考察だ」
あぁ、と僕は頷いた。僕が見てもどうせ分からないことだらけだろう。
「それじゃあね」
「達者でな。君江によろしく言っといてくれ」
「言えないよ」
「それもそうか」
ククク、と笑いながら僕は自室を後にした。