飃の啼く…第10章-6
―鎮魂歌(レクイエム)。
朝の8時に聞くには、ふさわしく無い選曲だ。そのモーツァルト気取りの音楽家は、口笛でそれを口ずさみながら、親しげに私たちの前に現れた。
「よっ!姉ちゃんと、目障りな犬っころ…おやァ?そこにいるのはァ…」
「お前…!」
見覚えのある刺青に、私の心がざわつく。
「あの時の鎌ねずみだなァ?」
飃は会ったことが無いが、私はこの秋に、危うくこいつにレイプされそうになったのだ。それを助けてくれたのが夕雷。
その澱みは夕雷を見つけると、さも嬉しそうに黒目の無い目を細くした。ニットキャップ、カーゴパンツと、原色のジャージ。その姿はいかにも人間的だが、目と、その周りの刺青が「こいつは尋常じゃない」という印だ。
「逢いたかったんだぜェ…この間のお返しをしたくってよォ…。オレは擾(みだす)。覚えてんだろ?」
そいつの目は、夕雷にのみ注がれていた。すると、夕雷はゆっくりと…
「誰だよ、おめえは。」
…ゆっくりと、振り子の様に鎌を揺らし始める。その時初めて夕雷が、鎖の音を少しもさせずに鎌を操っているのに気づいた。まるで、鎖など存在していないようだ。
「このオレが、いちいち、澱みなんぞの名を、覚えてやるかよ!」
意思を持っているかのような鎌が、まっすぐそいつに飛んでゆく。
「けけっ!馬鹿がァ!」
ひらりと身をかわして、一回転する。
「オレはこう言ったんだぜェ…『次に会うときゃ、そんな大口たたけねえ』ってなァ…」
ぱし。と、夕雷の手に再び鎌が握られる。
「やってみろや、雑魚が。」
夕雷の態度は一見隙だらけのように見えて、身体にみなぎる闘志と殺気は、紙一枚分のすき間もなくこの空間を満たしていた。
「へへ…おい、聴いたかよ、『犲(やまいぬ)』ぅ!」
「な…」
結界の外からそこに現れた、薄汚れた誰か。首から伸びた鎖がぐいと引かれる。そうして転び、地面に這いつくばって、そのまま主人の足元までいそいで参上した。闇に沈んだ虚ろな瞳に、ただ敵の姿だけを映して。
澱みを主とかしずく彼は…
狗族。
それも、小さな少年だった。左目の下に「7」の刺青…それと、着ているものと同じくらい、薄汚れてぼろぼろの首輪。