ICHIZU…E-3
「それね。お父さんが好きな言葉なの。昔、広島カープにいたピッチャーが好きな言葉だったんだって」
直也は嬉しさ一杯に表しながら帽子を被った。
その時、喧騒を遮るように大会関係者のハンド・スピーカー・フォンが響き渡った。
《選手の皆さん。入場行進準備のため、球場裏側の入口に集合下さい》
「よし!行くぞ」
キャプテン川口信也が皆を促す。
ここから先はベンチ入りメンバーのみで監督やコーチも帯動出来ない。まさに選らばれた者だけが味わえるセレモニーだ。
「じゃあカヨちゃん!頑張って」
有理は軽く手を振ると皆んなが待ってる方へと駆けて行った。
「ありがとうユリちゃん!」
佳代も有理に手を振った。そして、直也の方に視線を向けるとニヤッと笑った。
「よかったね!そんなの書いて貰って。もう、帽子洗えないじゃん」
「うるせえ!」
悪態をつく直也の顔は紅潮していた。
「姉ちゃん達遅いなぁ」
佳代の弟、修は開会式を両親と一緒に観客席で待ちあびていた。観客席といってもバック・ネット裏と内野に低い段数で設けてあるだけで、外野付近は金網で囲われている。
普通ならセンター後方に目立つバック・スクリーンも無く、スクリーンはネット裏の上に設けてあった。
「あなた、何してるの?」
「何ってビデオ撮影の準備じゃないか」
父親の健司は、同じ青葉中学関係者の居る場所で、ひとりビデオ・カメラを三脚に固定していた。が、それを嫁の加奈が問いかける。
「そんなモノで記録を撮るより、その瞼の奥に刻み込みなさい!」
「そんなモノってオマエねぇ…」
二人の間に暗雲が立ち込めた時、〈あの〜〉と遠慮がちな声があがった。加奈と健司が声の方に顔を向けた。そこには橋本淳が立っていた。
「アラッ、淳!随分おっきくなっちゃって。見違えたわ」
加奈は先ほどまでの剣幕はどこえやら、ニッコリ笑うと淳の身体をベタベタと触りだした。
「おばさん、お久しぶり」
ジュニア時代、佳代とチーム・メイトだった淳にとって加奈は〈恐い〉存在だった。とにかく我が子も人の子も関係無く、怒鳴られた記憶がほとんどを占めていた。
淳はおそるおそる加奈に言う。