飃の啼く…第9章-10
「貴様の名など知ったことか!よくもぬけぬけと…」
獄は嘲笑した。青白い顔が歪む。
「わざわざ逢いに来たわけではない。そうしたいのは山々だが、何しろ忙しいのでな。この監獄を管理するのは。さて…」
獄が部屋の中をぐるりと回りながら、天井に吊り下げてある奇妙な道具に火を入れていく。
鎖はびくともしない。鎖を切るのを諦めて、破魔の呪言を唱える。
「無駄だ。君が何をしようが、この私に破魔術は通じない…魔物と思いたくとも、私は人間なのだからな。中国への長旅も徒労だったというわけだ。ん?」
「黙…れ!」
香炉からは濃厚な香りが漂い始め、部屋中に充満する。
「いい香りだろう?もっとも君の鼻は人間より優れているから、どう感じるか知らんがね。」
怒りではっきりと目覚めていた飃の意識が、徐々に朧げになる…ここで意識を失ってはいけない。仇が居る。仇がいるのだ!
―父と母と、弟と、自分自身の。
飃は、自分の足や肩に血が出るほど噛み付いて、意識をとどまらせようとする。
「さあ…」
獄は、飃の耳をつかんで、囁いてきた。
「二十年前の続きをしようじゃないか…」
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湿った靴音が、水路に響く。
風炎は迷うことなく先を急いでいる。でも、急ぎ足りない。
走ったっていいくらいだと、私は思った。でも、そんなことで体力を消耗できない。代わりに情報を仕入れることにした。この風炎は、かつては澱みの集まりの中でも、かなり首領…黷だっけ…に近いところに居たという。
「その牢獄って言うのは、どんなところなの?」
「忌まわしいところだ。」
風炎が言う。
「時折狗族や妖怪のたぐいを捕まえてきては、発生したばかりの澱みどもに、そいつの生気を吸わせる。まるで蛭(ひる)かゴキブリがたかっているのを見るようなものだ。たまに重要な役目を持った狗族をつれてくると…」
私は耳をふさぎたくなった。でも聞いた。それが必要なことだから。
「まず拷問する。そして憎悪の念や絶望を強制的に抱かせる。そしてあんまり弱りきって生気がなくなる前に、澱みに生気と負の感情を吸わせるんだ。黷が自分の“子供”たちを育てる…いわば澱みのゆりかごだな。」
「…おぞましい…」
思わず口を付いて出る。
「お前らが対峙しているのは、そういう相手だってことさ。」
さめた口調で、風炎が言う。
「それに、知っているとは思うが、元は、あいつらも人間から生まれたんだ。つまるところ、一番邪悪なのは人間さ。それに気づいていないだけだ。」