『カイコノトキ』-1
『ねぇ、孝介くん?』
ふぁ?
欠伸を噛み殺して、間の抜けた声を上げるのは十七歳の僕。
『好き』
誰もいない学校の帰り道。静かな公園に二文字だけが余韻を残して響く。
そう言って、十八歳の彼女は僕の腕を取った。
何?いきなり。
今更腕を組むことに抵抗はないものの、僕はどうしていいかわからず、あまりに普通な疑問を返す。
『ずっと、このままがいいな』
僕の二の腕に顔を埋めた彼女がくぐもった声で答える。いや、答えにはなっていないが。
──そうだな。
満更でもない僕。端から見れば馬鹿な二人だ。
冬服の上からでも、彼女の温もりはありありと感じられた。こんなことが、こんな当たり前の毎日が、ずっと続きますように。誰にともなく、僕は祈っていた。
その後の三月、僕の十八度目の誕生日を待たずして、彼女は僕の前から姿を消すことになるのだけれど。
「髪型、変わったね」
隣に座るなり、彼女はそういって薄桃色のカクテルをちびりと口に含んだ。夏だというのに薄い花柄の長袖のシャツ、袖のカフスまでかっちりと止めた彼女の手首から先は透き通るように白かった。
「当たり前だ。何年振りだと思ってる」
鼻を鳴らして生中を嚥下する僕は口調ほど不愉快ではなかった。
『何だ、帰って来てるなら、小島も来るよな?』
そんな軽い流れに流され、モチベーションが上がらないまま強引に参加を決められた同窓会の名を借りた馬鹿騒ぎの中で、僕は完全にその空間から浮いていた。居酒屋のど真ん中にあって尚、他と同じ空気を吸えないでいる。その様はまるで、油が飛び散ったシンクに水を流した後のように、弾かれているて言うより、僕自身が周りを弾いているようでもあった。
ただ、それは僕だけではなかったのだけれど。
「そっか」
柊(ひいらぎ)は少しだけ寂しそうに笑った。
「そうだよね」
そうだ。もう四年になる。
大学も四年目になると、それまで授業に費やしていた時間を何か他のことへまわすことを考えなければならない。
それが長期の休みになると顕著になる。
共に退屈を分かち合ってきた頼りの友人・知人はこぞって帰省。都会の暑い夏から逃げるように地方へと散らばっていった。かく言う僕も結局はその一人に成り下がってしまったのも仕方がないといえば仕方がないと言えるだろう。
「四年振り、だもんね」
やや紅潮した柊の頬は、以前見たそれよりも心なしかシャープになっていた。
何だ、おい、お前結婚してたのかよ。
前の方の席で、長野が騒いだ。いくつになっても、お調子者の属性は消えないらしい。
「へぇ、湯川さん、結婚してたんだ」
彼女は、長野に肩を叩かれながら笑う活発そうな女の子を見た。その女の子の顔が真っ赤なのは酔いのせいだけではないだろう。
『ねぇ、私たち、結婚するのかな?』
十七歳の彼女が言う。
どうだろうね。
まだ十六歳の僕が言う。ただ、彼女を抱きしめる腕に力を込めて。
『孝介君…苦しいよ』
言葉とは裏腹に、満更でもなさそうな彼女のくぐもった声。
じゃあ離そうか?
わざと意地悪く言ってみる。次の言葉を期待して。
『それは嫌』
間髪入れずに彼女が返す。
やっぱりね。
『もう』
拗ねた彼女を宥めようともせず、僕はもう一度強く抱き寄せた。