忘れてしまった君の詩-17
「如月先生が風紀にうるさいってことは前にも話したでしょ?髪型、服装に始まり、授業中の態度、果ては放課後の過ごし方なんかも事細かに指導するの。そんなこんなで、人気は急降下、今じゃ『風紀の魔女』なんて異名が付くくらい、生徒から恐れられてるんだから」
『風紀の魔女』、ね。それもどうかと思うけど。
「英里先生は?前に、英里先生は男女問わず、生徒から人気があるって言ってなかった?」
「『生徒から』ってとこがネックなのよ」
「?」
香織ちゃんは悲しそうに、肩を竦めた。
「先生たちには嫌われてるの、英里先生」
「なんで?」
「前に教頭先生と大喧嘩したことがあってね。去年の一学期、期末テストのとき、『点数の点け方が甘い』って、教頭先生が文句つけたの。そしたら英里先生、『生徒達に答えを強要するのはよくない。書き手の意図を汲み取ることも重要だが、読み手が感じたことを評価するのはもっと重要な筈だ』って噛み付いたのよ。そしたら、教頭先生はもうカンカンで『そんなことでは教師失格だ』だの『君は今すぐクビだ』だの、もう大変だったんだから。それ以来、二人は犬猿の仲なの」
臨場感を出すためか、香織ちゃんは身振り手振りを交えながら、熱弁を奮う。
「いやに詳しいね?」
「あたし、その場にいたのよ。ちょうど、英里先生にわからないとこを質問に行ってたから」
なるほど、それは詳しいはずだ。
二人の話を聞き終えた頃には、日も大分沈み、空には弓のように細長い月が顔を覗かせていた。
校舎には、下校を促す女子生徒の声と音楽が流れ始めていた。
結局、この時間で僕が聞き出せた目新しい情報は彼女の異名と母校のこと。
そして、英里先生とは同窓生で、二人は友達だということだけだった。
だが、知らずにいるよりは遥かにマシなことは言うまでもない。
事実、次に何をするべきなのか決めることができた。
その代わり、少しばかり面倒な問題を作ってしまったかもしれないけど……。
「もうこないな時間か。そろそろ、帰路に着くとしよか?」
「そうですね」
そう言って立ち上がると、二人は間借りしていた席を綺麗に片付け始めた。歪んだ机を真っすぐに戻し、椅子を収める。
どちらも自分から僕に話し掛けようとはしない。
それが終わると、彼らは黙ったままそこに立ち、僕の行動を待っていた。
沈黙のなか、物悲しげなメロディーが、耳に響く。
「…何も聞かないのか?」
つい耐えかね、僕はそう口にしてしまった。二人の顔が……見れない。やがて、勇介が言った。
「聞いて欲しいんか?」
「……」
「どうなんや?」
「……今はまだ、嫌かな」 自分でも卑怯だと思う。質問するだけしといて、自分のことは何も答えないなんてすごいズルだ。
もし、僕が逆の立場なら怒りは覚えないまでも、淋しさや悲しさを感じるかもしれない。
だけど、彼女のことはまだ誰にも話したくなかった。少なくとも、僕自身の気持ちがわからないような中途半端なままでは……。
「ならええやん」
勇介が、言った。普段と何も変わらない、微妙な関西弁のままで。
僕は顔を上げた。
「いいのか?」
僕の言葉に、勇介は難しい顔をした。
「いいか悪いか言うたら、そら嫌やで?頼りにならんまでも、ワイら、そんなに信用できひんのか思うし。だけど、龍麻が話したぁない言うんならしゃあないやん。ワイは何も聞けへん」 最後の言葉を言うとき、勇介は少し淋しそうに笑った。
「ごめん、そういうわけじゃないんだ。けど……」
否定してみたものの、続けるべき言葉が見つからない。こんな時、昔の『僕』ならどんな言葉をかけるのだろう?
やっぱり、気のきいた台詞一つで、彼の沈んだ気持ちを浮かべ上がらせるのだろうか?
それとも今の僕と同じように言葉に詰まって、必死に頭を悩ませるのだろうか?
そんなことを考えているうちに、勇介は首を振った。
「ええんや、わかっとる。だけど、これだけは約束してくれ。いつか話せる時が来たら、真っ先にワイらに話すこと。わかったか?」
そう言って、勇介は右の拳を僕に示した。
僕はその拳をコツンと叩いて、誓った。
「約束する。話せる時が来たら、何もかも話すよ」
勇介の表情が、少し明るくなった。
「それじゃあ、あたしとも約束してもらわない、っとね!」
「うおっ!!」
香織ちゃんは両手を使って、勇介のことを物凄い勢いで突き飛ばすと、強引に僕の前方に陣取った。
「何すんのん?香織ちゃん」
「おいしいとこばっか持っていく、九木先輩が悪いんですよ!」
勢いそのまま、机に突っ込んだ勇介の不満もなんのその、香織ちゃんは言い返すと僕に向き直った。
まだブツブツ不満を口にしている勇介のことなんて、もはや、眼中にないようだ。
「はい、お兄ちゃん」
「えっ!?」
そうして、香織ちゃんが選んだ約束の儀式は、
「何よ?」
指切りだった。
「いや……その……」
「何グズグズしてるのよ?ほらっ!」
香織ちゃんは、僕の手を無理矢理奪うと、あの誰でも知っているような文句を当然のように唄い始めた。
「♪指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲〜ます、指切った♪」
唄い終わり、勢い良く、僕の指を放した彼女は元気な声で言った。
「さぁて。それじゃあ、帰りましょうか!」
そのまま、教室を出ていってしまう。
僕はとあることが気になって、突っ込んだ机を綺麗に片付けている勇介に聞いてみた。
「お前、指切りなんていつ以来してない?」
返ってきた答えは、唄の内容くらい残酷なものだった。
「さあな。でも、中学の頃にはもう誰もしとらんかったと思うで?」