『M』-9
政治や経済に興味がある訳ではないけれど、それでもテレビで見掛ける顔というのは覚えているものだ。
あちこちから浴びる視線の送り主にはその見掛ける顔の著名な人々も居て、私は少し驚くのと同時に優越感も感じていた。
「美貴ちゃん」
ゆっくりと絨毯の上を歩いていると、彼が前を向きながら小さく声を掛けてきた。
「あれが俺の親達。それで、向かい合って話しているのが鳳夫妻。そしてその隣の赤いドレスが鳳麗奈…俺の許嫁だから」
説明を聞いて、私は彼の視線の先を見る。
黒いスーツでも堂々たる恰幅が隠せない壮年の紳士と、派手なドレスがよく似合う貴婦人が、談笑しながら小皿の料理を突いている。
きっとあの人達が彼の両親だろう。
そして、その前で紺のスーツが細身を強調している白髪の男性と、小皿を片手に持つ彼の母親と同じ様な貴婦人が、ともに談笑し合っている。
それならあの人達が許嫁の両親だろう。
けれど、私が凝視してしまったのはその四人ではなかった。
会話が弾んでいる両親達を和やかな笑顔で見守り、その微笑みと赤いドレスからは気品豊かな雰囲気を醸し出している女性。
私が変身したあの店の美女に劣らない、あの美女とはまた違う種類の美人に相当する女性に、私はさっきまで感じていた優越感が恥ずかしいとさえ思えた。
あれ程の美人が許嫁で、一体何が不満なのだろう。
まず間違いなく、容姿に不満は無いはずなのに…。
「それじゃあ美貴ちゃん。いい?行くよ」
彼の最終確認を私は頷いて答え、とうとう舞台の幕が開けた。
―許嫁―
彼は方々から掛けられる社交事例的挨拶を愛想良く交し、自分の両親達が居る場へと確実に進んで行った。
シナリオでは腕は組んでいないからと、途中で腕を離して彼の後ろを半歩遅れて歩いていた私は、彼が目的の場へと着いて立ち止まるのと同時に歩みを止めた。
両親達は会話に夢中で初めは気付かなかったけれど、例の許嫁が将来の相手に気付いて挨拶をしたのをきっかけに、揃ってこちらを振り向いた。
「おお。優明。遅かったじゃないか。さあ、こっちへ来い」
彼の父親が手招きをして彼を呼び寄せるが、彼は動かずにその場でペコリと頭を下げた。
「父さん、母さん、遅くなりました。そして、お久しぶりです。鳳さん」
「あら、お久しぶりね。優明さん」
「元気だったかい?優明君」
人の良さそうな顔で挨拶を返した鳳夫妻は、彼の後ろに立つ私に気付いて疑問符を浮かべた。
「おや?そちらの方は?」
彼はここぞとばかりに口を開いた。
「あ、紹介します。この人は僕の恋人で、東藤美貴さんです」
計画通り、彼の言葉の後に私は続く。
「お父様、お母様、初めまして。東藤美貴です。御会い出来て光栄です」
深々と頭を下げる私に、両家と許嫁の視線が集まる。
顔は見ずとも、疑問と不快に満ちた視線が糸を張る空気とともに向けられたのが分かった。
それを横目に、彼はシナリオを忠実になぞる。
「彼女は同じ東都大の後輩で、友人を介して知り合いました」
淡々と機械的に説明を始めた彼に、面食らっていた父親がやっとの思いで口を挟んだ。
「待ちなさい優明」
それでも彼は続ける。
「彼女の家は有名な…」
「待て優明」
「それで彼女とは、結婚を前提にした付き合いを…」
「優明!!」
父親の怒声は会場内に響き、辺りは一変して静まった。