『M』-8
―覚悟―
暗天の眼下に建ち並ぶ、煌々とするビル群。
その中でも一際明かり輝く高層ホテルの前に、私達を乗せたリムジンは停止した。
「優明様、着きました」
車内の前方から届く声。
きっと運転手である青年の声だろう。
パタンと音がしたかと思うと、私達の居る後方のドアが開いた。
先に降りた私は、目の前にそびえ建つ豪華なホテルを見上げた。
これから私がどう生きてゆくのかなんて考えた事はないけれど、多分、どんな人生になってもこんな豪華なホテルには泊まる事がないんだろうと思う。
私のあとに続けて降りてきた彼が、ドアを閉める運転手の青年にひっそりと話した。
「ありがとう、陣内。約束通り、ここでの会話は秘密にしておいてくれ」
「かしこまりました」
青年は一礼して運転席に戻り、再び動き出した車はホテルの駐車場へと入って行った。
目の端で車を見送ると、彼が隣に並び、私を見た。
「いい?美貴ちゃん。行くよ」
声が震えて少し上擦っているのが分かる。
まるで緊張している自分に言い聞かせている様だ。
私はがばっと彼の腕を組み、驚いた表情をする彼に言った。
「この方が、恋人らしいでしょ?」
少し戸惑った顔をしたものの、すぐに覚悟を決めたようで、彼は
「ありがとう」
と言いながら頷いた。
想像していた以上に、ホテルの中は豪華な装飾品で溢れていた。
中でも一際私を驚かせたのは、どう吊るされているのか全く分からない金細工の眩しいシャンデリアだった。
私達はそのシャンデリアの下、ホテルのロビーで、チーフと思われる男性に出迎えられた。
「ようこそ御越し下さいました優明様。御案内致します」
礼儀の塊の様なその男性に案内されて、私達はパーティー会場へと足を運んだ。
「いよいよか…」
ぼそりと呟く彼。
落ち着かないのか、頭を掻いたりブラブラしたりと、組んでない方の手が忙しなく動く。
「あ、そうだ美貴ちゃん。何かシナリオに無い事訊かれても、何も答えないで良いからね。俺が答えるから」
いよいよ会場に入ろうかという時に、ここまで来るのに三回は聞いたセリフをまた彼が言う。
彼はシナリオを何通りも考え、偽りの私の設定を詳細に決めていた。
勝手に決められた結婚を断るだけなのに。
こんな態度の人が本当に御曹司なのかと、車の中で説明を聞いているうちに疑いたくなった。
でもそうは思いつつも、私もいささか緊張してきた。
開放されている会場の光景に、改めて『三越』の名前の偉大さを認識する。
自己の繁栄を強調するかのようなその模様は、映画やドラマで観る派手なパーティーと全く一緒。
ドレスやスーツやタキシード、または艶やかな着物を召した人々の中にたった一人制服でなんかいたら、確かに目立って仕方ない。
会場の入り口に差し掛かり、案内係の男性が会場の奥を差し示した。
「あちらです」
彼はありがとうと一言礼を告げ、そして私達は中へと入って行った。