『M』-6
―ピエロット―
空はもうすっかり暗闇と化しているのに、街はそれに対抗するかの如く明るくなってゆく。
夜空にきらめく星など見えず、代わりに見えるのは眩いばかりのネオンや建物の照明。
私はそれらがうっすらと光を残して過ぎて行くのと、行き交う人や流れてゆく車がぼんやりと影を残して過ぎ去るのを眺めていた。
まるで窓を隔てたこちら側とあちら側の世界では、時間の流れる速度が違う様でとても不思議な感覚。
そんな錯覚に陥っている私は、ふと、ガラス越しに彼と目が合った。
「何か、飲む?」
彼はそう言いうと室内ボックスの中から瓶を取り出し、それをグラスに注いで差し出した。
「ありがとう」
私は渡されたグラスを両手で持ち、それに目を見張った。
「ただの果物ジュースだよ。それとも、ワインの方が良かったかな?」
冗談を言いながら彼は同じ果物ジュースを別のグラスに注いで、それをグッと飲み干す。
私もそれに続いて、一口だけ喉に流した。
言われた通り中身はただのジュースで、私は喉が渇いていたのかすぐにまた二口目を飲もうとグラスに口を付けた。
そこへ、彼が尋ねてきた。
「ミキちゃんは、彼氏っているの?」
何の脈絡もない唐突な質問に、私は思わずむせてしまった。
「あ、大丈夫!?」
心配そうに顔を覗き込む彼に手で平気と応えて、逆に聞き返す。
「いないけど、どうして?」
「いや、ちょっと気になってさ」
言って、視線を窓へ移したかと思うと、ふぅと息を吐きながら背をもたれた。
「実はさ、俺、一度も付き合った事がないんだよね。それで…」
そこで彼は言葉を切った。
外見良くて、身長高くて、何より凄いお金持ちで…。
これほど恵まれているのに今まで付き合った事が無いなど、私には冗談にしか聞こえなかった。
「嘘でしょ?」
「嘘じゃないよ。恋人いない歴、23年」
苦笑いを浮かべながら皮肉っぽく言って、グラスを小さなテーブルに置いた。
「恋愛に興味がないの?」
私が訊くと、彼は静かな声で答えた。
「恋愛には興味あるよ。でも」
少し間を置いて、またゆっくりと話す。
「必要ないんだよね。許嫁がいるからさ」
「…いいなずけ?」
「親が勝手に決めた、将来を約束する相手の事だよ」
彼越しの窓ガラスに映る横顔は、笑みを浮かべてはいるものの、その瞳は何処か切なさそうで。
私は演技を忘れて、思いを口に出していた。
「自分の結婚相手を親がもう決めちゃってるの?そんなのって…」
「おかしいよね」
言葉にするのを躊躇っていると、彼が笑顔で続きを当てた。