『M』-16
―エピローグ―
どちらから誘ったのかはよく憶えてない。
私は、彼に抱かれた。
ううん。私が彼を抱いたのかも知れない。
ずっとそうして男性を慰めてきたから、それしか私には分からなかったから…。
けれど、私は全く後悔していない。
それどころか、初めてそれを愛しいと思えた。
名残惜しささえ感じた。
でも、隣で安らかに寝息をたてる彼を見ている内に、やっぱり私とは住む世界が違うのだと思った。
家柄とか血筋とかではなくて、もっと決定的な心の面で。
起こさないようそっと制服に着替え、私は彼のもとから去った。
また人が居なくなってしまう彼のことを考えた時、ズキンと胸が痛んだ。
結局、私の役だったピエロは人を笑わせて楽しませるどころか、関わる人を皆不幸にさせてしまったらしい。
それでも、私はこの役を演じ切って、自分でも意外なことに何かを得て成長したようだ。
学校での授業中、
「昨日はどうだったの?いくら貰えた?」
と何も知らない友人が、声の大きさも殺さずに語りかけてきた時のことだった。
「え?うん、まあ…」
とかなんとか私は曖昧に返事をする。
それにまた彼女は大きな声で訊いてきた。
「もう。いいじゃん。教えてよ。あ、わかった!けっこー貰えたんで」
バンッ!と言葉が終わる前に大きな音がした。
音に振り返ると、今にも沸騰しそうな形相で教師がこちらを睨んでいた。
「お前ら!いい加減に黙らないか!大体なぁ!お前らはいつもいつも」
と説教が始まろうとした時、私はガタンと音を上げて席を立った。
そして
「ごめんなさい」
と、しおらしい態度で頭を深々と下げたのだ。
周囲が驚いた。
友人は口をあんぐりとさせ、教師に至っては顔を引きつらせて逃げ腰になっていた。
でも誰よりも驚いたのは、他でもなく私自身だった。
どうやら、昨日何度もお辞儀をしていたせいで謝り癖が付いてしまったらしい。
これは自分なのだろうかと苦笑いしつつも、就職するには便利だな。なんてことを思った。
―スタート―
これで私の物語は終わり。
これ以上は語ることがない。
愛を知ってしまった今、もう援助交際はしないし、出会い系に関わることもない。
卒業して、働きはじめて、その職場で結婚相手でも見付けて、平平凡凡に生きる。
そう決めたから、多分、それ程ドラマ的要素もなく私の人生は終わるだろうし、世間をひねくれた視線で見ることもないだろう。
だから、語ってもつまらないと思う。
と、そう思ってた。
過去形。
あれから二日後の今日。
学校の前で生徒の注目を一身に受ける、黒光りする長い車を見付けてしまったのだ。
まさかと思ったら、案の定、現れたのだ。彼が。
「あ!やっぱりここの生徒だったんだね」
立ち竦む私を見付けて、彼はこちらへと走り寄って来た。
周りの視線がそのまま私に移る。
「なんで?ここを?」
「うん?ああ。陣内が君の制服を憶えていてね。それでその制服がどこの学校のものかも知ってたんだ」
言って、後ろを見遣る彼。
車の側に立つ青年がそれに気付いて一礼した。
恐るべきはあの運転手さん。
あの青年は、絶対、敵に回せない。