『M』-13
―語られる過去―
扉をパタンと閉め終えた途端、彼女はふうと息を吐きながらドアへともたれかかった。
「頑張ったのね、彼」
暫くそのままの体勢でいた彼女が、不意にこちらへと顔を向けた。
「もちろん、あなたもよ」
ニコッと微笑み、彼女はいつもの凛とした姿勢へと戻った。
「さ、着替えましょ」
もう気にしないと決めたはずなのに、彼のあの言葉、彼女の態度が、頭の中で渦を巻いている。
幕が引いた今、私には関係ないことなんだ。道化は訳が解らずとも、ただおどけてればいいんだ。
何度もそう自分に言い聞かせる。
でもそう思うば思うたび、ワタシが知りたいと強く願う。
彼のあの言葉の意味を。
彼のあの笑顔の理由を…。
一人の人間に、ここまで興味を持ったのは初めてだ。自分が堪らなく可笑しい。
そう、可笑しいのに、全然笑えない。少しも、面白くないのだ。
私は背中でドレスのファスナーを下げる彼女に、無意識の内に言葉を投げ掛けていた。
「彼が…笑ってました」
ピタッと、ファスナーを下ろしていた手が止まった。
「鳳麗奈さんが泣くと、彼が『お幸せに』って言って、笑ってました」
「…そう」
「でもそのあと、彼はずっと、すごい哀しそうに、すごい寂しそうに、すごい辛そうにしてました。見ていて痛いくらいの表情です」
「…そう」
ファスナーが再び動いたのを感じて、私は振り返った。
「なぜ?なぜ彼はあんな顔をしてたの!?なんで泣きそうだったの!?」
彼女に訊いたって、答えが返って来ないことぐらい分かってた。
それでも私は、どうしようもない程のこの気持ちを、彼女にぶつける以外できなかった。
少しの沈黙の後、彼女はふうとまた溜め息を吐いて、そしてぽつぽつと静かに語り始めた。
「昔ね…あるところに、裕福な家の男の子がいました」
初めは何を語り始めたのか理解できなかったけれど、それが彼の話であることに私はすぐ気付いた。
「それでね」
と彼女は続けた。
「それで、その男の子は裕福であるが故に、誰からも一歩引いた場所から接してこられたの。まだ小さい男の子には、それが大分辛かったのね。彼はずっと、淋しい想いをしてきた」
床の上の何も無い空間へと彼女は目を向けた。
まるでそこに、その男の子がいるような眼差しで。
「それが、彼が十歳になった時よ。彼女が現れて、世界が変わった」
屈み込む男の子に、女の子が近寄ってきた。
赤いフリフリの服を着た女の子だ。
「彼女はね、彼の両親が政略結婚の相手として連れてきた女の子だったの。でもそれが、彼にとってはこの上なく幸運なことだった。もう淋しい想いはしなくて済むし。いい話相手ができたし。なにより」
と言葉を切って、彼女は男の子達へと視線を遣った。