愛は冷静の中に-1
はじめに。
この話は、映画『冷静と情熱のあいだ』に着想を得て書いた話になります。
あおいの30歳の誕生日の日。
僕はフィレンツェにあるドゥオモの上で、日の暮れかけた町並みを眺めている。
来ない事はわかっているが、確かめずにはおれなかった。10年前交わした他愛もない約束。それだけが、僕の希望だった。
10年前…
そんな約束をした僕らはいまよりも若くて、希望に満ち溢れていた気がする。
それから10年…
あおいを失った僕は、失ったモノを取り戻すようにこの町に来た。
過去と現代が交錯する町、フィレンツェ。
僕はここで、名画達の過去を取り戻す仕事を始めた。
自分の過去を取り戻せない代わりにね。
それが、僕の選んだ修復士という仕事だった。
ゴーン ゴーン
午後5時、ドゥオモの閉館を告げる鐘がなる。諦めていたこととは言え、悲しさが込み上げてくる。
低い鐘の音に追い立てられる用に、僕は階段へと進む。
『やっぱり、忘れてしまっているよね』
そよ風が僕の髪をなびかせる。
じっとしているのがいたたまれなくなり、僕は胸ポケットから煙草を取り出すと、煙草に火を付けた。
あれから一週間。
僕はまた、いつもと変わらない日々を歩み始めた。
ただ一つ、変わったことがあるとすれば待つ必要がなくなった事だろう。
あおいの30歳の誕生日は一度しか来ない。
夢は打ち砕かれたかもしれないが、僕は淡い期待を胸にひめて待つ日々から解放されて逆に清々しい気持ちで筆を握っていた。
日の光が中庭を優しく包み込む午後三時。
工房にもつかの間の休息が訪れる。
先程まで油絵と睨めっこしていた職人達が筆を止め、変わりに温かな珈琲を包み込む。
緩やかに流れる時間。
僕のもっとも好きな時間だった。
「順正! 手紙、アメリカからみたい」
いつも僕の斜め前で作業しているジョバンニ。
「順正、アメリカからの手紙」
同じことを二度いうのは彼の癖だ。僕は持っていたエスプレッソをテーブルにおくと手紙を受け取った。
「ありがとう。誰から」
「さぁ、ウォーイって読むの?多分日本人だ」
「そう…」
僕は、恐る恐る手紙の差出人を見る。イタリア人がAoiを見ればウォーイと読むだろう。
やっぱり、あおいからだった。