飃の啼く…第4章-9
「………来た!」
そいつは、海からやってきた。そして、今まで見た中で一番醜悪な化け物だった。
「…5年間も懲らしめてやったのにまだ懲りねえかよ、ちっちゃい犬ども。」
そいつは、巨大なナメクジのような形をしていた。人間の姿に擬態することもなく、言葉は、そいつの頭と思しきところにぽっかりと開いた口から発せられた。体は半透明で、汚い川の水にゼラチンを溶かしてゼリーにしたように見えた。奴の通った後には、黒いどろどろが続いている。
「貴様の愚鈍な頭では、今日がお前の最後だということも解らぬと見えるな。」
飃が声を張り上げた。
「ぬ…おまえ、こいつらと違うな…」
「日ノ本本州が東、武蔵狗族の長、飃だ!」
両者がにらみ合う。私はその間、必死に弱点を見極めようとしていた。5年間の暴挙で、たるんだ体。あのゼリーには、私の薙刀も効きそうに無い。もしかしたら、毒性を持つかもしれない。でも、どこかに必ず弱点があるはずよ。
その時…夢の中の声が、語りかけてきた。
―そう、それでいいよ・・・
「えっ!?」
―やっときづいてくれたんだね、さくら。
「あ…あなたは…」
―あなたがうまれてから、ずっといっしょにいたんだよ。あなたのなかに…
「そ、それじゃあ…」
―おぼえておいて、わたしはあなた。あなたはわたし…
そこで、声は途切れた。かわりに、ナメクジの声が聞こえてきた。
「お前がその盾を持っているってこたぁ…女も…」
目を巡らせる。
「私が飃の妻だ。」
私は静かに言った。すると、あいつは、虚ろな口から、ヘドロを撒き散らしながら下卑た笑い声をあげた。飛び散ったヘドロが、地面に生えていた草の上に落ちると、草はぶすぶすといやな音を立てて解けた。
「ってこたぁ、おれは今日、食いでのある大きい犬と、そのスケを食らえて、そんでもって、おれぁ、あのお方に褒めていただけるようになるってぇことだなぁ!」
前触れ無く、触手が私と飃に向かって伸びてきた。さっきの若者が、鬨の声を上げる。