wonderful world-1
『どの街まで行けば 君に逢えるだろう
どの街を歩けば 君に逢えるだろう
教えておくれよ 君が好きだから
Whatawonderfulworldthiscouldbe〜
Whatawonderfulworldthiscouldbe〜』
――― プツ
柔らかに流れるその音楽を、僕は切った。
いつもつけているラジオの電源を切ると、車の窓を通して、静かに波音が聞こえてくる。
そう、ここは海が近い、寂れた駅のホーム。
ザザァ
ザザァ
音が、潮風を連れてくる。
僕は思い出していた、遠い夏の記憶。
肌を露出するのが嫌な君は、白いワンピースの水着だったね。
僕たちが付き合いだして最初のデートは、遥か彼方の記憶のなか。
けれどひとつ、確かのものがある。
僕は、そう、君が好きだった。
とても好きだったんだ。
だから手も繋げなかった、会話もおぼつかなかった。
どこかよそよそしい、二人の夏の一日。
ふ、と笑みが洩れる。
僕は車の中から、駅のホームを見遣る。
まだ来ない。
君は、まだ来ない。
車内の時計に目をやると、既に終電の時間が過ぎていたことに気付く。
ポツポツとホームから出てくる人々。
皆、寒さからか周りに目もくれずに家路を急ぐ。
はく息は白く。
波音は、僕らをいっそう凍えさせる。
冬、それは君と何度も過ごした季節だったのに、胸に去来するのは暖かい思い出ばかり。
それはクリスマス。そして同時に君の誕生日でもあるその日に。
ふたつのプレゼントを渡し、二度の乾杯をして、そして何度も愛し合った。
波音が響く車内のなか、僕は静かに目を閉じた。
二年、と僕は思う。二年間付き合って、僕が手にしたのは疎外感だった。
君はとても頭が良くて、生徒会に入り人望も厚かった。
僕は帰宅部で、成績は下の下。
そんな二人が二年間も一緒にいられたのが、むしろおかしかったのか。
君は何よりも僕を優先してくれたけれど、その度に君に対する周りの評価は下がっていってしまったんだ。
君は気付いていなかったかもしれないけれど、僕はお荷物でしかなかった。
僕にはそれが、痛いほど分かってしまったんだ。
君は東京の大学を受験して、僕は就職を選んだ。
一緒に来てほしいって、君は言ってくれたけれど。
これ以上、君の足を引っ張ることはできなかった。
僕は、この街で働き口を見つけた。
それが数週間考えぬいた末の、僕の答えだった。
今も君の泣き顔をはっきりと思い出すことができる。
けれど、君はこれからもっと大きな世界で、もっと大きな自分を見つけていくんだろ?
そして僕はこれからも変わらない街並の中で、いつも通りの日常に埋もれていくんだ。
僕は彼女の震える両肩を抱いた。
それが最後の抱擁。
今までありがとう。
言葉にはせず、抱く腕に気持ちを込めた。
たくさんの思い出をありがとう、僕はそれだけで十分だから。
君は、君の夢を。
君はこの街を去り、僕はこの街にしがみついた。
つまらない作業に明け暮れ、つまらない時間を過ごした。
時々思う。
この時間は、もしかしたら君と一緒に過ごすべき時間だったのかもしれない。
東京で同棲して、君は大学に、そして僕は仕事に。
休日は買い物に出かけ、帰りに映画でも見たりして。
そんなかけがえの無い暖かな日々を、僕は切り捨ててしまったのではないか?
後悔はある。
けれどそんな時、君と過ごした二年間を思う。
君が笑っている。
あぁ、それだけでいいと。
確かに僕は、思い出だけで生きていける。
今も君といたら、きっと僕たちは笑顔ではいられない。
この美しい記憶でさえも、汚れてしまうのだろう。