絶対零度の世界-3
「何か、こう、女の子のいた形跡がちらほらと」
僕も辺りを見まわす。けれど何処にそんな形跡があるのか分からなかった。嗅覚とでも言うのか。
「もう結構前に別れたよ」
へぇ、と納得したような彼女の表情には悪びれた様子が全く無い。とても面白い子だ。酒のつまみに一つ家に置いておきたいなぁ。
「どうして?」
なかなか勇気のあるオナゴだ。見知らぬ男の家で、見知らぬ男の別れ話に耳を傾ける。
「僕が冷たい男だって気付いたんだよ」
「冷たいの?」
「酔いつぶれた見知らぬ女性を快方して自分の家まで運び、何もせずにただベッドに横にさせて、自分はこの寒い季節に床で寝て、講義に寝過ごしたというのに、その女性の話し相手になってあげてるってくらい冷たい男だね」
「それは冷たいわ。豆腐も凍る冷たさね」
・・・このアマ、殺るか?
下らない世間話がそれから延々と続いた。腹が減ったので、街に出て二人で食事をして連絡先を交換して別れた。
「本当にありがとう。きっとお礼するから、期待しててね。あとね、あなた優しい人よ。別れた彼女ね、見る目無いわ」
私、好きよ。あなたみたいな人。
あっさりと野山は言った。
別れた彼女も、最初は同じような事を言った。
けれど、僕は動じない。
残念だけれど、僕には分からない。
好きだとか、嫌いだとか。愛してるだとか憎んでるだとか、うれしいだとかカナシイダトカ。
僕には分からない。
ただ毎日が過ぎる。当たり前のように繰り返される日々のなかに、君というパーツが組み込まれていくだけなんだ。だからそれはただの一部に過ぎない。僕という小世界を構成する、小さな小さな部品なんだよ。
それから僕たちは頻繁に会うようになった。まるで恋人のように一緒に映画を見に行ったり、食事をしに行ったりした。実際、野山は僕を恋人として見ていたのかもしれない。けれど彼女が近づけば近づくほど、僕の気持ちは醒めていくのだった。いつもそうだ。ついていけなくなる。
彼女が僕を思う気持ちに、ついていけなくなる。
どうして人は人に寄り添うのだろうか。
どうしてそうありたいと願うのだろうか。
彼女が僕に寄り添おうとすればするほど、その事実に僕は引いてしまう。
キスをする。それはいいだろう。
SEXだってする。別に問題は無い。
けれどもっと本質的な部分まで繋がろうとする気持ちを僕は持てない。
『私たちは、体温が違いすぎたのよ』
彼女は言った。
それはどこまでも正しい。
僕の体温は、絶対零度。
どんな熱い想いも、僕に触れようとすれば冷めてしまう。
例外は無い。
野山だって、きっとそうだ。
絶対にそうだ。
感情を持つものが人間ならば、僕は人間ではない。
人間の形をしたナニカだろう。人間の感情を真似て捏ね繰り回したツクリモノだろう。
だからそんなものに体温など在るはずが無いんだ。
野山と知り合って、三ヶ月。
僕は二十一度目の誕生日を迎えた。
土曜日で大学も休みだったけれど、僕は一人で過ごそうと思った。
彼女に、今日が誕生日であることを教えていない。知っているのは小山くらいなものだ。こういう日は誰かと過ごしたくない。
クリスマスでも誕生日でも、プレゼントをしたりされたりするのが、たまらなく嫌なのだ。
どういう顔をしていいのか困ってしまう。昔、誕生日に手編みのマフラーを貰ったことがある。けれど僕は重用しなかった。普通のアクセサリーと同じ頻度で身につけ、それが彼女の気に障ったことがある。
そこには、彼女の気持ちが詰まっていたのだという。
だから常に身に付けていて欲しい、と。
僕には理解できなかった。
どうしてそこまで人を束縛したがるのだろうか。
僕は僕で、君は君。
それ以上でもなければ、それ以下でもない。
正直に彼女にそう言うと、彼女は泣きながら去っていった。それ以来彼女とは疎遠になった。
そんなことを思い出しながら部屋でひとり、インスタントコーヒーを口にする。
そういえばあのマフラーは、どこにいったかなぁ。
ピンポーン
チャイムが鳴る。コーヒー片手にドアを開けた。
「誕生日おめでとう」
そこには小山と野山、更に僕の顔見知りが何人かいた。僕は持っていたコーヒーを落としてしまった。