絶対零度の世界-2
外は寒く、空を見上げる。
月。
漆黒の闇に、ひとつ。
金色の半月が潜む。
ソレは、寂しいのだろうか。
吐く息は白く。
僕には分からない。
人はひとり。
ボクは、寂しいのだろうか。
視線を下げると、彼女は電柱の横に腰を下ろしていた。
「大丈夫?」
「うう・・ん。だめ。もう無理」
青白い顔で、彼女は「帰る」とうめいた。
「帰れる?」
「うう・・ん。だめ。やっぱ無理」
似たような返答に、どうして良いのか困る。この状態だと自宅の場所を聞くことも出来ないだろうし、このまま置いて帰るわけにもいかない。上着の胸ポケットから、LARKを取り出して、火をつけた。
ふうぅ
時刻は十二時を回っていた。仕方なく、飲み屋に戻る。誰か彼女の知り合いに任せればいいだろう。
しかし戻るとさっきの場所には、一緒に飲んでいた人たちはいなかった。
「マジかよ」
おそらく二次会のため場所を移動したのだろう。店員に聞いても、どこに向かったのかは分からなかった。
引き返すと、彼女は寝ていた。電柱に抱きついていた。あまりにも絵に描いたような泥酔っぷりに、写メールを撮った。保存した。さらに保護した。それから煙草をもう一本吸ってタクシーを呼んだ。僕のアパートまで彼女を運び、ベッドに寝かせた。僕はシャワーを浴びて、明日の講義の時間に提出しなければならないレポートを書いた。内容は「パルスNMRの原理と、その応用について」。講義で使われている教科書を読んでも分からず、ネットで検索して、その中から尤もらしいページを印刷し、それを見ながら自分らしい言葉で置き換えてレポートを何とか完成させた。書く前に入れたコーヒーはすっかり冷めてしまい、窓にはうっすら光が差し込んでいた。
ゆっくりと達成感とともに、LARKの煙を吸い込む。
チッチッチッ
壁掛け時計は、ゆっくりと確実に時を刻む。秒針が回るのを、ボーと見ていた。それは何度も何度も、同じ場所を行き来して哀しいくらい単調な作業。ならばいっそ止まってしまえば楽になれるのに。
『あなたはとても冷たい人だわ』
そう言ったのは、誰だった?
浅い眠りが僕を誘う。
『あなたは誰も愛せない』
さすがに彼女も気付いたのだろう。
そう、僕は愛せない。
深い闇が僕を連れ去る。
愛し方を、僕は知らない。
それはきっと、悲しいことなんだよね。
ドタドタと騒がしい物音に、僕は目を覚ました。起きると見知らぬ女性がうろたえていた。
「どうして?どうして?」
キョロキョロと周りを見渡しながら、彼女は呪文のように同じ言葉を繰り返していた。
あまりの絵に描いたようなうろたえ様に写メールを撮った。保存した。さらに保護した。
「あなた、誰?」
「僕はこの部屋の管理者だけど、あなたこそ誰?」
彼女は泣き出しそうな表情になったので、僕は種明かしをした。昨晩の事を手短に話した。
信憑性を上げるため写メールも見せた。
「あうぅ・・・。だからお酒は飲まないって言ったのに。典子め、あたしをほったらかしにしてぇ」
よよよ、とさめざめと泣いていた。ホントに感受性の豊かな子で、見ていて飽きない。観賞用に一つ家に置いておきたいなぁ。そう思いながら時計に目をやると正午を過ぎていた。
「そんなぁ!」
僕の発した声に彼女が驚いた。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
咄嗟に彼女は謝った。
「どうして謝るの?」
「どうして叫んだの?」
何か噛み合わない会話が行き交う。
「いやぁ、徹夜でレポート書き上げたのに、その講義に寝過ごしたから」
あぁ、と彼女は頷いた。けれど寝過ごした原因の一端は彼女にもあるはずだから、あながち謝ったのも間違いではなかったのか?
「でも迷惑だったでしょ。知らない女に泊まられて」
「まぁ、そうだね。かなり迷惑だったよ」
「そこはやんわりと否定するところじゃない?」
「まぁ、そうだね。かなり迷惑だったよ」
僕がもう一度続けると、彼女は「すみませんでした」と平謝りをした。
「私、野山苺。**女学院の二年。あなたは?」
「坂上昇。**大学工学部三年」
「頭良いんだねぇ」
大学名を聞くと彼女は唸った。
「まぁ、ピンからキリまでいるから」
「あなたは?」
「ピンだよ」
「ほんとは?」
「ピンの下だよ」
「よろしい」
・・・何が?
「坂上君は彼女、いるの?」
「どうして?」
そう言うと、彼女は部屋を見渡した。