A STAR-1
「ねぇ、今日は何時からにする?」
授業を終えて帰り支度を始めた小笠原瑞紀(オガサワラ ミズキ)のところに、サークル仲間の一人が歩み寄って来た。
「ごめん、今日は行くところがあるから私はパス」
「行くところって、夜なのに?」
「うん…じゃね」
瑞紀は申し訳なさそうにしつつも、急いで教室を後にした。
高校3年になった瑞紀は、天体観測サークル『Shooting Star』に所属している。
もともと瑞紀は天体観測が好きだった。時間があれば望遠鏡を持ち出し、星を眺めていた。
春とも初夏とも言いづらい5月の街は、既に傾きかけた赤い太陽に照らされている。
夕闇に染まった空は快晴と呼ぶに相応しく、吸い込まれそうなくらいに澄み渡っていた。
瑞紀は花束を片手に、人気のない川原へ向かっていた。
それは瑞紀が小学生の時だった。
「おじいちゃん!蛍見に行こう!」
まだ幼い瑞紀は、5月に入ったばかりだというのに、祖父に川原へ行くよう促していた。
「蛍?!……瑞紀、蛍はまだいないと思うんだが」
「行ってみないとわかんないでしょっ!」
「しかしなぁ………」
「もぉっ!!」
瑞紀はプクッと頬を膨らまし、夕日に染まる街へ駆け出した。
瑞紀が記憶を頼りに川原に着いた頃、空の星が輝いて見えるほど、日はすっかり落ちていた。
「蛍……いない………」
瑞紀は蛍がいないことに落胆した、その時だった。
「落ちるぞ」
同じクラスの栗栖明大(クリス アキラ)が瑞紀の手を引いた。
二人は川原に座り込んでいた。
「蛍には早いだろ」
明大は呆れながら瑞紀に言った。
「だって…」
瑞紀は泣きそうになりながら言葉を詰まらせる。
5月の夜は少し肌寒い。瑞紀は川原に着いたときに脱いだ上着を手に取り、袖に腕を通した。
「………蛍って、きれいじゃない?真っ暗な中を飛び回る蛍って、たくさんの流れ星みたいに見えて………。だから早く蛍を見たくて………」
「ふうん……」
明大はやはり呆れたように相槌を打った。
「って言うか、人の話聞いてる?」
瑞紀はやや声を荒げ、先程からずっと空を見上げている明大の袖を引っ張った。
明大は双眼鏡を目に当て、両手を添えている。傍らに置かれた鞄からは、何冊かの本が頭を出していた。
「聞いてるよ」
やはり空を見ながら、明大は答えた。
「それなら、流れ星を見たらいいじゃないか」
「流れ星なんてめったに見れないじゃん…」
「ん〜…じゃあ、星なんてどう?」
明大は双眼鏡を目から離した。
「蛍のように飛び回ってはないけど…、でも見てみなよ。一つひとつ大きさとか、輝き方が違うだろ?」
目を輝かせながら、明大が初めて笑顔を見せた。
「そう…かな…?私にはよくわかんないけど………でも、きれい」
二人はしばらくの間星空を眺め、その光たちに目を輝かせた。いつまで見ていても飽きないような星の瞬きに、瑞紀の胸は高鳴っていた。
とは言ってもまだ小学生だ。当然、夜の川原に長居はできない。
「瑞紀〜!どこだ〜?」
遠くから瑞紀の名を叫ぶ男の声がする。
「お父さんだ!行かなきゃ」
瑞紀は立ち上がり、尻の辺りを軽くはらった。
「そか。じゃあな」
明大は一瞬瑞紀を見て、また双眼鏡を目に当てた。
「明日も…星、見に来てイイ?」
「もちろん。晴れたら見に来いよ」
「うん!」
月明かりに照らされた二人の影の一方が、ゆっくりと川原を後にした。