無名の伝記-15
「君ほどしっかりしているのなら年の差など関係ないよ。」
それでもエバンの中の不安が解消されるわけではなかった。このもやもやとした気持ちは不明確に心を支配している。それはセリカも同じ事だった。
「自信がないのよ。」
淋しそうにセリカが放ったその言葉は誰もの声を失わせる程に切なかった。カインズ夫妻と別れ、セリカの下に向かったシドは事のあらましを告げた。
二人ならすぐに断ると思っていたと話した後のセリカの言葉がそれだった。
「私たちはあまりに不安定なの。相手を想うには不器用すぎる。」
ずっと相手の命を終わらせる事しか知らなかったセリカと、ずっと一人だけの力で生きてきたエバン。初めて触れる人の体温に戸惑っていた。
相手を想えば想うほど空回りしていく不器用な関係。それが今回も響いている。
「考えちゃうのよね。私と暮らすよりかは絶対カインズさんの方が幸せになれるって。」
もっといい生活ができて、働かなくても学校に行けて、将来への可能性が広がっていく。きっと幸せになる。それは目に見えて分かる未来だった。
「私はあの子に幸せになってほしいのよ。」
いつもエバンが走る商店街のとおりを窓から見下ろしてみる。変わらない賑やかさ、この景色からエバンがいなくなってしまうかもしれない。
次第に高ぶる感情。シドはただセリカを見ていた。どうにもできない思いを抱えて彼女の名前を呼んでみる。
「セリカ。」
呼ばれてシドの方に視線を戻した。逆光でよく表情が掴めない。彼女は微笑んでいるのか。
「ダメね。」
「そんな事はない。」
シドの言葉にセリカは首を横に振った。
「あの子が好きなのよ。」
再び視線を外に向け、口元を隠すように手を置いた。
想う気持ちなら負けなかった。ただ守れる自信はあっても幸せにする自信などなかった。いつか時間がこの不安定な二人の関係を本物にしてくれるだろうと、そう思っていた。
だけど。
「悔しいわ。あの子を幸せにする方法が分からないのよ。」
声が震えていた。瞳も潤んでいた。気持ちが泣いていたのだろう。自分の非力さを嘆くことなんて今までなかった。
この気持ちはなんだろう。ただ、切ないことしか分からない。
時の流れが早いのか遅いのかも分からない。いつしか夕日が部屋を赤く染めようとしていた。
自分の部屋に向かうアパートの階段の前でエバンは立ち尽くしていた。なかなか足が向かおうとしない。ただ一段目の階段をずっと見ていた。
まるで初めてここに引っ越してきた日のように。
エバンは右足をゆっくりと一段目に乗せた。あとはただ上がっていくだけ、いつもよりはるかにゆっくりとした速度で部屋に向かっていった。
あのドアの向こうにセリカがいる。