気にしない足跡たち-10
自分の中にそんな感情が少しもなかったからだ。
善人だから損をした―――。
悪意を持たないから見抜けなかった―――世の中には、真っ黒な感情が溢れているのだと。
「助けて、あげたかった」
「あ?」
谷町の言葉に、杉浦は不思議そうに顔をしかめる。
「娘さんを、助けてあげたかった。僕に挨拶してくれた娘さんを助けてあげたかった」
もう何年も経つのに、彼女を思うと谷町は涙が出て来る。
―――ああ、でも。
ふいに―――谷町は気付いた。
あの笑顔から発せられていた声を―――自分も、忘れてしまっている。
「あんなに、助けてあげたかったのに。今もまだ、何件も卑劣な犯罪が起きる。僕は思うんですよ」
谷町は、殺してやりたいと思う。あいつらや、卑劣な犯人なんて生まれて来なければ良かった、要らない命だとさえ思う。
だが、それはどうなのかと疑問も抱くのだ。本当に要らないのか―――誰にとっても。
「人は、不幸を願っている。数え切れない、目を覆いたくなる不幸は―――望まれて発生するんです。きっと犯人達以外にも望む人間が居る。支持され、必要とされているんです」
この世は暗闇だ。
暗闇に居る人間は数え切れない程居て、彼らは―――不幸を願っている。
そして勝つのは常に加害者だ。彼らは知っている。
自分達の方が、暴力を振るい人を恐怖で支配できる自分達の方が―――強いのだと。
逮捕されようと出所出来る。
奪った金が簡単には被害者に返らない事も、死んだ人間が生き返らない事も全部知っている。
そして―――周りの人間や時には警察や被害者自身すらも自分達の味方になり得る事を、彼らは知っている。
「だから、極めて人間らしい行為である犯罪は―――なくならない」
「ああ」
「だから僕は、もがいて足掻いているんです。なくならないと解っていても、悪意をそのままには出来ない」
暗闇はなくならない。必ずそれは世に横たわり、人間の足を掴む。
「なくならないとしても、減らしたい。酷い目に遭った人を助けてあげたい。僕はそれを無駄だと思わない」
「先生、先生の云う事はみんな綺麗事だ」
「綺麗事では駄目ですか?」
谷町の言葉に、杉浦は笑った。
「いや?あんたにはずっと綺麗事を云っててもらいたいよ。本当だ。あんたが真っ直ぐだから―――」
蔓が絡みつくように、縋れるんだ―――。
杉浦はそう云って笑った。
「ありがとうな。あんたが綺麗事ばっかり云うから―――俺は今ここに居るんだよ」