逆転のプール-4
「静粛に!静粛に!」
傍聴席がざわめきだしたのを、裁判長の木槌が止めた。
「亜内検事。その、証人とは?」
「死体がウォータースライダーを滑り落ちてくるのを目撃した、プールの監視員のかたです」
(とんでもないことになったな……)
「端富来黒雄(ばたふらい くろお)さんを入廷させてください」
亜内検事に言われて、係官が男を一人連れて来た。
証言台に立った人物は、いかにも夏の男といった容貌をしていた。がっしりとした体つきに、日に焼けた肌。なぜか水泳キャップを被っていて、首からはホイッスルをさげている。着替える機会はなかったのだろうか。
「あ、どうも。端富来黒雄です」
礼儀正しい人だな、という感じの第一印象だった。
「端富来さん。あなたは事件当日、現場近くの監視員用の椅子に座っていた。そうですね?」
「あ、はい。そうです」
「そしてそこで、スライダーから被害者が滑り落ちてくるのを見た」
「あ、はい。そうです」
「では、そのときのことを証言してください」
「あ、はい。わかりました」
「ぼくはいつも、ウォータースライダーの近くにいるんです。監視のために。
その日、そこにいる男性と亡くなった女性が高台に昇りました。
しばらくして、男性だけが降りてきたんです。
それからまたしばらくして、今度は女性が降りてきました。
ただしスライダーのほうからです。そのときはすでに亡くなっていました。
もちろんその日、そこに昇ったのは、その人たちだけです」
(ヤバイ……)
彼の証言で、ぼくはとうとう冷や汗が止まらなくなってしまっていた。この証言が認められたら、犯人は矢張で確定してしまう。
「待った!」
ぼくは机を叩いて叫んだ。
「と、当日、そこに昇ったのは間違いなく、その二人だったんですか!」
「あ、はい。そうです。ぼく、ずっと見てましたから」
(え?)
ずっと、見てた?
その言葉が、どこかひっかかった。そう、どこか、“矛盾”している気がする。
(……監視員……立入禁止……ずっと見てた……。……そうか!)
「異義あり!」
張り上げたぼくの声で、法廷内が緊張した。
「証人の証言は、矛盾している!」
「ど、どういうことですか!」
そう言ったのは裁判長だ。
「端富来さん! あなたは確かこう言いましたね。『被告人と被害者が高台に昇るのを見ていた』と」
「あ、はい。そうです」
「でも、そんなことはありえないんですよ」
端富来の表情が、かすかに曇った。
「あの高台は、立入禁止だ。もしあなたが本当に二人が昇るのを見ていたのなら、監視員であるあなたが、注意しないわけがないじゃないですか!」
『ピーッ!』
亜内検事の声よりさらに2オクターブくらい高い音がした。端富来が、首にかかっていたホイッスルを吹いたのだ。
「あ、ああ。ごめんなさい。ぼく、勘違いしていました」
「どういうことですか!」
「そういえばぼく、二人が昇るところは見ていないんですよ。やっぱり時々、目を離してしまうときもあるんですよ」
「……つまり、もし別の人が昇ったとしても気付いてないかもしれない、ということですね?」
「あ、そ、それは……」
口ごもり、返答につまった。そしてまたホイッスルをくわえると、法廷内にそれを響かせる。どうやら焦ったときのクセらしい。
「裁判長! 彼の証言はアテになりません!」
「異義あり!」
そのとき、ぼくのものじゃない甲高い声がした。亜内検事だ。