その後の淫魔戦記-4
面白くなさそうな顔で受話器を取り上げた上司だったが……次の瞬間、直立不動の姿勢で立ち上がった。
「し、社長っ!……はい?はっ……はい。はい……」
普段は居丈高なセクハラ上司の顔がみるみる青ざめていくのを、日頃から嫌味に耐えている由利子は小気味いい心境で眺める。
「そういう訳ですから、有給を戴けますよね?」
受話器を置いた上司へ、由利子はにっこり笑って尋ねた。
青ざめたままの上司は、黙って頷く。
「神保家のご当主から、直々の呼び出しなものですから。早く行かないと、失礼ですものねぇ」
手早く帰る準備を済ませた由利子は、正面玄関から外に出た。
すると目の前の道路に、ハザードランプを点けた黒塗りの高級車が待っている。
後部座席の窓が開き、榊が顔を出した。
「お手間を取らせてしまい、申し訳ありません。こちらにどうぞ」
運転席から運転手が出てくると、うやうやしく後部ドアを開ける。
驚く程に柔らかい座席に腰を下ろしてから少しして、車は滑るように走り出した。
――身の置き所がないくらいに居心地が悪い訳ではなかったがお互いに口をきく事もなく、車は神保家の正門へと到着する。
榊に案内され、由利子は直人の部屋までやってきた。
直人の部屋はよく手入れされた中庭を一望できる、居間と寝室と勉強部屋の三部屋からなる区画である。
二十畳ある寝室の真ん中には、金襴の布団がひかれていた。
枕元には水差しと薬湯が置かれ、未緒が侍っている。
「若。藤谷様をお連れしました」
「ご苦労。呼ぶまで、下がっていてくれ」
「はっ」
榊が下がると、直人は未緒の助けを借りて体を起こした。
その様子を見て、由利子は思わず後ずさる。
一体何があったのか……直人の頬はげっそりとこけ落ち、憔悴しきった様を曝していた。
「お仕事中だったのに、呼び立てて申し訳ない。ですがこの通り、自由に体を動かせないものでしてね」
発した声も覇気がなく、弱々しい。
「長話をする体力もないので、簡潔に申し上げます。未緒が、妊娠しました」
本当に簡潔な物言いは、かえって脳に染み込むのが早かった。
「あの、それはご当主の……?」
少し前に娘の口から直人と付き合い始めたと報告されているから、そういった事に関する覚悟がなかったと言えば嘘になる。
だが実際に年端もいかないこの少年の子を宿したのかと思うと、やはり複雑だった。
「いえ……」
直人の顔に、複雑な表情がよぎる。
「僕の子では、ありません」
「では誰の!?」
表面的な冷静さをかなぐり捨て、激した由利子は叫んだ。
直人と付き合っていながら別の男の子を妊娠するような娘に育てた覚えは、由利子にはない。
「十八年前、あなたに未緒を孕ませた男……と言って、信じていただけるでしょうか?」
由利子を気遣う痛ましげな表情で、直人は告げる。
その感覚はまるで、背中に大きな氷の塊を押し付けられたようだった。