その後の淫魔戦記-3
――まだ十五〜六と見える、美貌の少年。
あの時、自分を犯した男の面影は……遠い記憶となり果てて、もう忘れてしまっていた。
「ふぅ……」
再びため息をついた由利子は、鼻の下まで湯に浸かる。
たっぷりと贅肉のついた中年のご婦人が三人、由利子の前を通って浴場から脱衣所へと出て行った。
由利子は目を閉じ、ふと追憶に耽る……。
由利子は仕事用とプライベート用、二つの携帯電話を使い分けている。
プライベート用携帯電話には娘の未緒や友人達、それに生活で必要な店等が登録されていたから、由利子は専用のメロディをそれぞれにつけていた。
だからプライベート用携帯電話が登録していない音で鳴り始めた時、不審を覚えたのは当然である。
「もしもし?」
鳴り止まない電話に根負けした由利子は、不信感溢れる口調で応対に出た。
『お久しぶりです。その……覚えておいででしょうか?私は以前お嬢様の件でご縁がありました神保の家令をしています、中西榊と申します』
二十代後半と思われる低く深みのある美声に、全身がかっと熱くなる。
忘れるはずがない。
未緒が診察を受けた時、自分はこの男に抱かれたのだ。
あの時の自分には男のぬくもりが最善の治療薬だったから、榊は躊躇わずに自分を抱いたのだろう。
今となっては恥ずかしくも甘酸っぱい、そしてほんのりと苦い記憶だ。
……思い出、ではない。
こんな事を懐かしく思い出す程、由利子は子供ではない。
「は……はい、もちろん覚えています」
多少混乱しつつも、由利子はそう答える。
『ああ、よかった』
ほっと、息をつく音がした。
『お手を煩わせないよう、手短に用件を申し上げます。こちらの番号は、お嬢様から伺いました』
躊躇いがちに、榊が喋り出す。
これで榊が電話番号を知っている理由が分かり、由利子はほっとした。
『本来でしたら当主がお電話を差し上げるべきなのですが……今、床についておりまして。代わって私が、説明させていただきます』
若き当主が、床についている。
短い時間顔を合わせただけだが……直人は持病があるような軟弱な少年には見えなかったため、由利子は眉をひそめた。
『実はお嬢様の身に、ある事が起きまして。当主と相談した結果、こちらでお嬢様を預かるのが最善と合意したのです』
「ち、ちょっとお待ち下さい。未緒を……娘を、行儀見習いに出せとでも?」
慌てた口調で問うと、榊がため息をついた。
『いえ、そうではありません……やはり、当主から説明を受けた方がいいでしょう。今日のお仕事は、切り上げられるでしょうか?』
「それは……」
半日有給を取れば大丈夫だろうが、あまり気は進まない。
しかし、娘の重大事にそんなケツの穴の小さい事を喚いている訳にもいかない。
『会社に、こちらから連絡しましょう。神保からの要請でしたら、どこからも文句は出ません』
由利子の逡巡を汲み取ったか、榊がそう提案する。
「それは……お願いできますか?」
『お任せ下さい。そうですね……三十分程度お時間を戴ければ、そちらの会社の正面玄関へ車を回します。では、失礼』
榊からの電話が切れると、由利子は立ち上がって上司の所へ行った。
暇なのか新聞紙を広げて足の爪を切っていた上司に、早退したい旨を告げる。
「早退いぃ?」
あからさまに嫌そうな顔をした上司は、たっぷり嫌味を言おうとして口を開けた。
と、その時。
プルルルルッ……
まことにいいタイミングで、上司のデスクの電話が鳴る。