遥か、カナタ。〜FILE−1〜-1
『水戸川奏太。2−C、生徒会総合管理補佐水戸川奏太はこの放送終了から30秒以内に生徒会室に来なさい』
抑揚のないハスキーな声色が、6限目のチャイムが鳴り終わったばかりの教室に鳴り響く。
「おい、カナタ!召集だぞ!」
隣の席の友人が嬉しそうに僕に話し掛ける。
『繰り返す。2−C水戸川奏太は…』
「カナっち、はやくはやく!」
少し離れた席からも急かす声が僕の耳に届く。
そんなことくらいわかってるよ。
僕は素早く荷物を鞄に詰め込んで左肩に架けると、乱暴に椅子を押しのける。ガタン!という派手な音とともに後ろの席のクラスメイトの机にぶち当たる音がしたが、軽く謝罪を口にしただけで僕は教室の出口へと駆けた。
力任せに開けたドアを閉めることもなく、僕は教室のすぐ横にある階段を一段飛ばしで駆け降りる。その踊り場には今月の標語『変質者に気をつけよう』というツッコミ所満載なポスターが幅を効かせていたが、あっという間に流れる景色の中に置き去りにされた。
たん、たん、たん、たん…
内履きのスリッパの裏が小気味いい音を立てて階段をたたく。
教室のある2号棟のエントランスを、生産中止になったサッカニーに履き替えながら出たときにはすでに30秒程が経過していたが、それは仕方がない。ここで開き直って走りを止めてしまうとおそらく僕に明日はない。かっこいいセリフのようではあるが、決してそうではない。僕の未来予想図は恐怖や絶望というに相応しい。
徐々に笑い始めた膝を叱咤しながら生徒会室のある4号棟に足を踏み入れたときにはもうすでに50秒近くが経過していた。それでも一般学生と比較すればこれは超人的なタイムであることは間違いない。
生徒会室は4号棟の4階、404号室。今度は重力に逆らいながらの疾走。筋肉に負担がかかるのは下りだとよく言うが、キツいのは上りであることに間違いはないだろう。
階段を昇り切ったときには最早、首元に張り付くカッターシャツの襟さえも煩わしく思えた。
だん!
大袈裟な音を立てて、4だらけの不吉な教室の扉が開く。
最初に目にしたのは逆光を背にした二人の女子生徒。長身と小柄。笑ってしまうほど対照的だ。
「ふむ…98秒。おめでとう。ついに100秒の壁を破ったな」
小柄な方の女子生徒が逆光で白く光る眼鏡の向こう側でにやりと笑うのがわかる。
「だが、遅刻は遅刻だ」
僕は無駄に巨大な生徒会室の扉に背中を預けたまま、ずるずると崩れ落ちた。膝の笑いは既に2号棟を出たときが微笑であるなら、もはや爆笑と化していた。それを見て長身の女子生徒が慌てたように僕の方へ駆け寄る。
「いつもごめんなさいね。はい」
困ったように整った眉をハの字に曲げながら、楓さんは僕にペットボトルのお茶を手渡した。…すこし減っている。
「余り過保護にするなよ、楓。男いうのはすぐに付け上がる」
「あなたが厳しすぎるんでしょう?」
楓さんはやれやれと言ったように俯いて頭をふる。首筋まである栗色の髪がさらさらと揺れ、鼻孔をほのかな芳香がくすぐる。
「…で、今日は一体何の用です?秋山会長?」
うむ、と秋山さんは平たい胸の前で組んでいた腕を解き…見事なモーションで何かを投擲した。割と大きなそれが何かを確認する前に飛来した未確認物体は僕の額にごしゅ、という文章化の難しい擬音語を立てて命中した。
「不要な形容詞は慎んでもらおうか」
秋山さんは冷たい目で僕を睨む。あ、この人エスパーだ。
「ほら、さっさと拾わないか」
冷酷非道な生徒会長に促され、僕は足元に落ちた先ほど一瞬だけ僕の意識を奪った物体Xを拾い上げた。青いノートのように見えたそれは、どうやら中に資料を綴じ込んだリングファイルだったようだ。
「その1番上だ」
言われるままにファイルを開く。
「紛失届…?」
怪訝に眉をひそめ、徐々に資料の下の方へと視界をずらしていく。