遥か、カナタ。〜FILE−1〜-4
「い、石毛も、おお小田も、たっ高木も、と、友達面してたくせに、昇進、した途端トカゲのシッポ切るみたいにお、俺を切り捨てやがって」
前半の3人は恐らく職場の同僚か何かだろう。劣等感は絶望と溶け合い、混じり合って憎悪が生まれた。消化し損ねた負の感情が内側から溶け出し、やがて殺意が男を包み込む。教科書に載せたいくらいありがちなパターンだ。何の教科にも『通り魔の作り方』なんて単元はないが。
わからなくはない。男の気持ちも。
でもな。
「俺、今イライラしてるんですよ」
だからね、と続けて僕は体を捌きながら左手を離す。力の拮抗が破られると男はバランスを崩して倒れ込む。体勢を崩すまいと前に出された男の右足を、僕の左足が払う。支えを完全に失った男はみっともなくアスファルトに沈むしかない。派手な音を立てて腹を打った男は思わずナイフから右手を離していた。左手に握られたナイフの刀身を靴裏で押さえ付け、思いきり膝から下をサッカーのバックパスの要領で払う。くるくると回転しながら男のサバイバルナイフはステップワゴンの車体の下に吸い込まれた。
「そんなに憎いか?」
僕の問い掛けは答えを要求するものではなかった。
「ひっ」
僕を見上げた男は、小さく悲鳴を上げた。自分でも、頬の筋肉が引き攣っているのがわかる。僕は右手一本で男の胸倉を掴んで強制的に立たせた。
「憎いなら、自分を憎めよ。取り残されて惨めで情けない自分を憎めよ。そのはけ口を見ず知らずの女子高生に求めてんじゃねぇよ」
力任せにぐいぐいと右手を揺らすと、男はもう一度小さく悲鳴漏らす。
「あんたもう大人だろ?つまんねぇことで何拗ねてんだよ」
頭上の電柱の上で、カラスが鳴いた。それにつられるように、少し離れたところからもカァ、と鳴くのが聞こえた。
「置いてかれたからって道草食ってるあんたはダメな大人だ。しかも人を傷つけて八つ当たりしてるあんたはただのクズだ。マラソン大会で最下位争いする小学生の方がまだ潔い」
僕は、大きく左手でテイクバックを取る。
さぁっ、という生暖かい風は、初夏の匂いがした。
「靴ヒモ結んで出直して来やがれ!」
硬い感触と炸裂音と同時に、バサバサバサ、頭上のカラスが飛び立った。