銀色雨傘W-1
翌日、咲貴は駅で再び美咲にあった。彼は、昨日帰ってこなかったことについては何も言わず、それどころかそんなことなど忘れているかのようだった。暗くなるまで待っていた咲貴は文句の一つも言ってやるつもりだったが、そんな美咲の様子を見ると、何となく怒りも失せてしまった。
以来、咲貴は美咲と帰り、彼の家に行くようになった。美咲の家にはいつも誰もいない。そして美咲は必ずどこかへ出かけて、そして帰ってこないのだ。しかし次の日になると、何事もなかったかのように傘を持って咲貴の前に現れる。――まったく奇妙な毎日だった。そもそもあの家は、本当に美咲の家なのだろうか。と言うよりは、一体誰の家なのだろう。咲貴は美咲以外の人間を、あの家で見たことがない。美咲がいなくなった後も、誰かが帰ってくることはなかった。また、隣家の人間も姿を見せたことがない。あの場所は驚くほど静かで、人の気配がまるでなく、まるで無人の境のようなのだ。
しかし――当人にとっても不思議なことに――咲貴にとって、それらのことはあまり重要でなくなっていた。ただ彼は、毎日美咲と共に帰り、そして美咲が出て行けば彼も家路についた。帰る途中、美咲と話しもする。学校のこと、友人のこと。ときに家族のことも話題に上ることがあったが、母親のことが主だった。そしてそんなとき美咲は、懐かしそうな、哀しそうな、年に似合わない陰鬱な影を表情に落とした。
雨は地表を打ち、雲は日の光を覆い続けた。美咲は毎日、あの傘を持って駅に来る。雨に打たれた雨傘は銀白色をして、雨の中灯火のように揺れていく。
そして咲貴が美咲と出会ってから、二週間目のある日のことだった。
その日、咲貴は美咲の姿を視界の中に見出すことができなかった。いつもなら、改札口のすぐ向こう側で待っているはずなのに、今日はその姿がどこにもない。しばらく壁際で待っていたが、あの白い傘を見つけることはできなかった。
「……来なくたって、別に不思議じゃない」
風邪でも引いているのかもしれないし、あるいはこの「遊び」を止めたのかもしれない。呟いてみたが、自分を納得させることはできなかった。逆に、胸のあたりがざわりと騒いだ。何だかひどく嫌な予感がする。いつになく暗い外の景色が、咲貴の不安を一層煽った。
自身でも分からない焦燥感に促されるまま、咲貴は外へ出た。忙しく視線を動かして少年の姿を探す。そうしている間にも、焦りはますます強くなっていった。不安からくる不快感が喉元を圧迫している。咲貴は焦っていた。自分が何か、貴重なものを失おうとしていることに彼は気付いていた。
せわしなく視線を左右に動かし、雨の向こうを透かし見る。ふいに咲貴の目が、小鳥の羽毛のような色を捕らえた。――白。いや、違う。仄白く光る、銀色の雨傘。
少し離れたところで、美咲が立ちつくしていた。見間違いようのない横顔が見える。しかしその瞳は咲貴の方ではなく、全く別の方向に見開かれていた。暗い色の服を着ているせいで、顔の白さが余計に目立っている。彼は蒼白い顔をして、何かを一心に見つめているようだった。視線の先には、歩道と歩道の間に横たわった、アスファルトの帯。信号を待つ人々の傘が、まるでアジサイの花のように集まっている。
その中に、咲貴は見覚えのある人物を見つけた。正確には、見覚えのある後姿を。紫に近い青色の、変わった色の傘をさしている。背格好からすると咲貴と同年代の少年のようだ。制服のズボンと、片手に持った鞄しか見えない。しかし咲貴は確かに、その少年に見覚えがあった。
信号が青に変わり、傘の群がさあっとばらけた。少年の後姿も、それに混ざって遠のいていく。突然、美咲が走り出した。すれ違う人の間をすりぬけるようにして、真っ直ぐに信号へと向かっていく。何か叫んでいるようだが、声は全く聞こえない。しかし咲貴は気づいた。美咲が、あの少年を追っていることを。