快速ラピット-5
ラピットが家中のものを倒したに違いない、玄関へたどり着くには廊下を横断するかたちで転がるコートハンガーをまたがなければならなかった。二度目のチャイムに慌てて鍵を開けると、こちらがドアノブを掴むより早く、外側からノブを捻られた。
やはり遠藤だった。朝っぱらから見事にまとめあげたオールバックで、ドアを開けた瞬間から整髪料の匂いが鼻をついた。「おはようコウタ君。とても清々しい朝だ」、言葉とは裏腹に、意地悪な細目がきゅっときつく絞られていた。背後には白みきっていない淡い空があった。
「おはようございます」、俺は言葉を選びながら会釈をした。結局自分の頭を指差して言った。「今朝も、キマってます。今度ワックスを選んで欲しいな」、そのとき背後からけたたましいモーター音が聞こえた。親父の奴、なんてタイミングだ! 俺は再び顔をしかめた。
「いったい何時だと思ってる!」、遠藤は突然スイッチが入ったみたいに怒鳴り散らした。「ニワトリの朝だってまだ先だぞ!」
「ええと、あれ? この時計壊れてるのかな?」、俺は左手首を見て言ったが、もともと腕時計なんか付けてなかった。自分の白々しさがちょっと面白かった。
「あの馬鹿みたいな音は親父さんだな?」
「俺が知る限り親父は人間なんです。たしかに馬鹿みたいだけど、モーターは積んでないんじゃないかな」、遠藤は握りこぶしで思い切り強くドアを叩いた。怒鳴るよりずっと有効な威嚇だった。俺は両手で彼を制して「冗談です」、と言った。「変な機械を造っていて、今朝やっと完成したとか。俺もあの音で起きちゃって」
「言い訳はいい、今すぐ止めろ! 迷惑だとは思わんのかね!」
「オーライ、オーライ、ごめんなさい。すぐにやめさせますよ。だから怒鳴らないで……」、俺は親父を止めるために慌てて振り返るのだった。
「君の親父さんには困っているんだよ」、しかし遠藤の言葉に一瞬足を止める。彼が何とも嬉しそうに語るのを、背中で聞いた。「昔からそうだ、自分のことしか考えない最低な人間、それが斉藤創一郎の本性だ。彼と笑顔で別れた女はひとりもいなかった。ただのひとりもだ。美咲ちゃんがどうしてあんな男を選んだのか――未だに分からないね。きっと頭を強く打ったんじゃないかと思うんだが」、声が聞こえなくなる頃には下唇の味が血の味に変わっていた。
親父はモーターの試運転を終えて、今まさにコントローラーを手に取ったところだった。
「おい、親父」
「遠藤が何か言ったか?」、親父は忌々しそうに顔を歪ませた。「あの若造が何と言おうと、私は絶対にこの研究を――」
「そうじゃないよ」、俺は腕を組んで彼を見下ろした。「せっかくだからさ、最大出力で動かせよ。それともまだ走れない? エンジンが温まってないとか?」
しばらくの沈黙のあと、親父は最高の笑顔でこちらを見上げた。「走るとも!」、そしてコントローラーに指を叩きつける。呼応するようにラピットが不敵に顔を上げた。「ウサギが舌を巻くほど俊敏に! 快速列車だって追いつけないほど早く!」、俺も笑った。叫べ叫べ、言われっぱなしで黙っていられるか。
ラピットは背の高い家具をあらかた薙ぎ倒した。生まれたばかりの竜巻のように問答無用で目の前を過ぎていった。鉄の足が床を蹴るたび、震度三くらいの激しい揺れが地域を襲った。震源地は斉藤家一階、人型ロボット。走る、曲がる、ぶつかる! それでも造りが頑丈なもので、ラピットのほうは傷一つついていなかった。
「おい、斉藤! いい加減にしてくれ!」、玄関のほうから聞こえてくる遠藤の悲鳴が実に愉快だった。走れ、走れ、快速ラピット。斉藤家を侮辱するあの者に制裁を。「頼むから!」