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快速ラピット
【純文学 その他小説】

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快速ラピット-2

「それはいいけどさ、晩飯は?」
「無論、調理も可能だ!」、タンスの中身をあらかた引っ張り出し、ひとつずつ放り投げて散らかす。「人間にできることの大半を彼はやってのける! 今に見てろ、日本の家政婦は廃業するぞ!」、見覚えのあるトランクスパンツが放射線を描いて屑篭の中へ落下する。あれはどう見ても俺の下着だ。
「違うよあいつの話じゃない。俺たちの飯はどうするんだ、人間にも燃料が必要なんじゃないのかよ」
「今のところの動力源は電力だがコードは邪魔だし電池では数秒の寿命、あの膨大な消費エネルギーには原子力、核が有効であることは百も承知だだがしかしどうやって! 仮に法の目を潜っても物理的危険が大き過ぎるぞ!」
 出窓の上に飾っておいたものはすべて床の上にあった。造花のマリーゴールド、オードリー・ヘプバーンの写真立て、カティーサークのボトルとチェロを模したボトルストッカー。それらを全部拾い集め、元の場所へ戻す頃には親父の姿が視界から消えていた。
「カルバンだ!」
 絶叫が浴場の反響を伴って彼の居場所を俺に知らせた。

 嵐は去った。親父は空っぽの浴槽の中に座り込んだまま力なく息を切らしていた。オレンジ色の照明がそう見せるのか、彼の顔には若さの痕跡が欠片ほども見受けられなかった。無論、六十を過ぎたとなれば誰だって立派な老人である。それでも親父は他の老人と違ってその大きな瞳の中にだけは老いを持ち込まないはずだった。

 俺は疲弊と懇願を込めて言った。「もういいだろ?」
「ラピットは希望なんだ」、親父はひどく緩慢な動きでゆっくりと俺を見上げた。文字通り嵐のあとのような静けさだ。声はすり減った紙やすりみたいに掠れていた。「完成させるまでは死ねない、何があっても」
「死ぬな死ぬな、死ぬんだったらせめてラピットの機関銃で撃ち殺されてくれ。あんたに餓死は似合わないよ」
「武装など」、親父は首を振りながら、俺の差し伸べた手を掴んだ。こちらの水分を吸い取りかねないほど乾いた手だった。「あれは希望なんだ、武器じゃない」
 脱臼させないように気をつけながら、ゆっくり引っ張り起こした。少なからず重くて苦労したが、苦労の重さは年々減っていた。
「パスタでいい?」
 俺は何事もなかったようにメニューの希望を訊ねる。親父はバツの悪そうに頭を掻いて、ようやく頷いた。

 2、斉藤家の食卓

「たとえばフォークを使ってさ、こんなふうに、くるくる巻けるわけ?」
 俺はフォークの先にパスタのとぐろを作ってみせた。
「指先の動きはこれからだ」親父はものの食い方が汚い。ラーメンみたいに音をたてて啜っている。握られているのは箸だ。「第一ラピットは食事をとらない、よってフォークの扱いなど不要」
 俺が黙って頷くのを確認すると、再び音をたててパスタを啜った。
「あんたにも不要みたいだしね」、と俺は言った。

 お袋が死んでから十年が経った。
 十年――これを長いとするか短いとするかは相対的な感覚の問題である。八歳だった俺は十八歳になり、五十四歳だった親父は六十四歳になり、三十歳だったお袋は四十歳になるはずだった。俺にとっては人生の半分以上を占める期間、親父にとっては人生のサイコロのひとつの目にも満たない確率をかぞえるだけ――十年とはそういう数字だ。
 両親は極端な歳の差夫婦だった。当時二十歳だったお袋は四十四歳の親父から求婚を受け、二つ返事でそれを受け入れたという。干支のルーレットをたっぷりふた回りもして、同じポケットへ転がり込んだふたりが見事結ばれたわけだ。

 親父はもともと変人だった。少なくとも俺にも物心というものがつく頃にはすでに変人だった。とりわけ土地の安い地方で大きな家を買ったはいいが、その大半を研究施設に改装してしまったせいで我々の生活圏はぐっと狭まった。巨大な基地のような我が家に喜んでいられたのはいつまでだったろう、成長するにつれて、自分たちがいかに異様な環境で過ごしているのかを少しずつ思い知った。

 親父の研究は専らロボット工学を対象としていた。数多の失敗の上に失敗を重ね塗るだけの人生は傍目にも虚しいものだ。彼の目標である『二足歩行のロボット』はいつの間にどこかの自動車メーカーが完成させていた。親父は着々と時代の片隅へと追いやられていた。


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