恋人達の悩みFINAL 〜卒業・それぞれの旅立ち〜-8
「……っははは……」
その馬鹿らしさの発露は、しごく単純だった。
「はははははははははははは……」
何かが壊れたように……否、心のどこか一部が確実に壊れる音を聞きながら、龍之介は笑い続ける。
「龍ちゃん!?」
場にそぐわない哄笑へ何かの異常を感じたか、巴が部屋に顔を出した。
「やあ、母さん」
ヒステリックに聞こえる笑いを漏らしながら、龍之介は挨拶する。
「一体……」
「何でもないよ。何でもない……っははははは……」
どう聞いても何かありそうな声に、巴は眉をひそめた。
「本当に大丈夫。さ、花嫁を迎えに行かないと」
笑いを堪え、龍之介は歩き出す。
「母さんも、まだ準備は済んでないだろ?」
すれ違いざま、龍之介は巴の肩を叩いた。
『……え?』
叩いた龍之介と、叩かれた巴。
両者は戸惑った声を上げ、視線を絡ませる。
「今、僕……」
「叩いた……」
息子がたった今した行動は、長年封印されてきた事だった。
女性に触ればジンマシンを出すような反応しかできなかった龍之介が、母に触れて平気だったのである。
「……母さん。ごめん、もう一度」
龍之介は、巴の肩を掴む。
六年近く触れなかった母親に対するアクションにしては、なかなか大胆だ。
「出ない……」
いつもなら悲鳴を上げつつ体中を掻きむしるタイミングが過ぎても、体は全く痒くならない。
「……治った……?」
半ば呆然としながら、巴が呟く。
「龍之介!!」
「高崎君!?」
同時に響いた二つの声に、二人は揃ってそちらを見遣った。
美弥と瀬里奈が、焦躁感溢れる顔付きで廊下に立っている。
「やあ。二人揃って、どうしたの?」
龍之介の台詞に、瀬里奈は鼻白んだ。
「あんたが妙な笑い声上げてるから、心配して来たんでしょーがっ!」
「ああ、そういう事……っふくくく……」
どこかおかしい笑い声に、二人は不気味さを感じる。
「大丈夫。僕はいたって『正常』さ」
龍之介は、瀬里奈の手を軽く握った。
「ね?」
一瞬惑った顔をする瀬里奈だったが、意味に気付いて目を見張る。
「嘘……いつ?」
「たった今」
龍之介は瀬里奈から手を離し、美弥に視線を転じた。
「あいつから、ふざけたメッセージカードが届いた」
その一言で『あいつ』が何者なのか見当がついたらしく、美弥は息を飲む。
「結婚おめでとうって……」
「あの人、まだ諦めてなかったの!?」
しとやかな花嫁衣装には似つかわしくない激した口調に、龍之介は微笑した。
「そうなんだろうね……でも、今重要なのはそこじゃない」
龍之介は慎重に、花嫁へ手を伸ばす。
今までの反動で美弥に触れる事ができなくなったのではないかと、龍之介は危惧していた。
だが……その手は、花嫁へ優しく触れる。
「あぁ……よかった」
龍之介は微笑むと、美弥を胸に掻き抱いた。
人様の前で行うには少々情熱的に過ぎる愛情表現に、美弥は目を白黒させる。
「あのメッセージを貰ったおかげで、どうしようもない自己憐憫から抜け出せたよ」
壊れた傷痕を心の中から一掃しつつ、龍之介は言った。
「龍之介……」
気遣わしげに、美弥は呟く。
「大丈夫……今までの人生の中で、一番気分がいいよ」
美弥の体を離し、龍之介は花嫁を上から下までじっくりと眺めた。