堕天使と殺人鬼--第11話---4
「ふざけてんじゃねえぞ、テメエ!」
教壇の上に膝を付いていた三木原の胸倉を、愁は両手で掴んで激しく揺さぶる。身長のあまり高くない愁は、男性の中でも高い方の三木原を、まるで天上を見上げるような形になっていたが、両者の顔はお互いの鼻先がくっ付き合いそうなほどに近かった。
一見では、三木原の方が圧倒されているように見えたかも知れない。しかし、晴弥はこの時、愁の肩越しに見た。見てしまった。――三木原の、顔色一つ変えないその、凍ってしまいそうなほどに冷たい表情を――。
アキラと遼が、足を揃えて駆け出そうとした。しかしそれよりも、三木原の行動の方が遥かに早かった。
自分の胸倉を掴み上げていた愁の両手を片手で掴むと、捻り上げる。そして余った片方の手で間の教壇を横に倒すと、その、すらりとした長い足を高く、高く持ち上げ――黒々としたローファーの裏を、愁の鳩尾に叩き付けた。蹴り飛ばしたと言った方が分かり易いだろう。
堪らず愁の身体が吹っ飛び、「うっ」と呻いて背中から、丁度そこにあった晴弥の机(一応、そうだろ?)にぶつかった後、床に倒れ込んだ。愁が倒れ込んだ場所のすぐ近くにいた女子の数名が、「きゃー!」と悲鳴を上げて彼を避けると、彼だけの空間のようなものが出来上がる。
「――愁!」
思わず動きを止めて、事の成り行きを見据えていたアキラが叫んだ。そして遼と一緒に愁に駆け寄ろうとしたが他の生徒が邪魔をしているようで、鳩尾を押さえながら無理矢理身体を起こそうとする愁と、腰の辺りから何かを取り出してそれを愁に向ける三木原の方が、断然早かった。
晴弥はこの時、愁よりも、三木原が彼に向けて構えているものに視線が釘付けになっていた。――あれは――あれはもしかして、アクション映画とかサスペンスドラマとか、とにかく日常生活とは全く関係のないところ――そう言うやつでしか見たことはないし、実物だって、勿論見たことはないけれど――まさか――いやでも、あれは――あれは、拳銃――ではないか……?
晴弥の頭が危険信号を告げた。それを理解した途端、晴弥は無意識の内に叫んでいた。
「逃げろ、愁――!」
遅かった。晴弥が叫ぶよりも僅かに早く、三木原が向けた拳銃の先端から、火花が飛び散った。同時に空気を割るような、くぐもった大きな音が響き渡って、耳の奥を痛める。しかし、そんなことを気にしている場合ではなかった。――見てしまったのだ。片腕で支えながら上半身を起こしていた愁の身体が、晴弥から見て右に向かって傾き、そしてそのままどさりと再び倒れ込んだのを――。
それと共に、晴弥の思考も再び機能するのを停止した。
銃声が響いた瞬間に、何人かが悲鳴を上げたが、それだけだった。その後は、妙なことに、教室は静まり返り、誰も、何も言わない。
どれくらい経ったのだろうか、どさりと何かが崩れ落ちるような音が聞こえた。誰かが、腰を抜かしてしゃがみ込んだ音のようだっだ。
それが合図だった。まず遼が動き、続いてアキラが、人込みを掻き分けて名前を叫びながら、彼のもとへ急いで駆け寄る。そのぐったりとした頭を、遼が持ち上げ腕で支えた。そして、その顔色の悪い頬を、アキラが叩き、二人で懸命に呼び掛ける。
「愁……おい、愁……。」
ふとアキラがはっとしたように、愁の肩の横、床を見つめた。続いて左手を恐る恐る、と言ったように顔の前に翳して、ぎょっと、目を見開き両眉を持ち上げた。彼の掌が、手の甲まで――いや、紺色のブレザーの袖まで真っ赤に染まっていたのだ。それは、紛れも無く愁から流れた、血だった。床にも徐々に、血液の水溜まりが出来上がっていた。
頭部に、まるでハンマーで殴られたような一撃が襲い掛かった。くらくらした。今にも意識を手放してしまいそうだったが、晴弥の脳裏ではこの時、愁との思い出の出来事がとめどなくフラッシュバックしていた。