ご注文は君で。〜呉本恵の場合-1
正直言って、客の顔なんてほとんど覚えていない。
元々、あんまり他人に興味ないし。
話し掛けられることも多いけれど、店長に紹介されたお得意さんとかじゃない限りは、まず覚えられない。
…あ、でもこの人は覚えてる。
やたらと挙動不審だから。
「いらっしゃいませ、志賀野さん」
「ど、どうも」
相変わらずな様子で、彼が店のドアを開けた。
この人、いつも小綺麗な服着てるし、時計も何気に高級ブランドだし、顔やスタイルだって悪くない。
なのに、言動がイマイチ釣り合っていない。
勿体ないなぁ…って、お節介にもいつも思ってしまう。
「生一つ」
「かしこまりました」
「あ…」
「はい?」
「…いえ」
彼について知っていること。
名前、志賀野晃(シガノ・アキラ)。
年齢、二十五歳。
出身地、京都。
彼がこの店を訪れるようになって約二ヶ月。
会話時間の合計、約十分。
「お待たせいたしました」
これ、気になる。
私がテーブルに注文の品を置くとき、彼は決まって必要以上にのけ反る。
私、嫌われてる?
たまに睨まれてるし。
「志賀野さん」
「は、はい」
「今度から違う店員、つけましょうか?」
これは私の悪い癖なのだけれど、良かれと思ってやったことが相手には違うニュアンスで伝わり、傷つけてしまうことがよくある。
今回も、そうなのだろう。
志賀野さんの顔はみるみる精気が失われ、真っ青になってしまった。
「あの、すみません。べつに、変な意味じゃなくて…」
「…嫌だ」
「へ?」
店内のざわつきに掻き消されぬよう、私は彼の口元に耳を近づけた。
「恵ちゃんじゃないなら、来る意味ないから…」
「…それって…」
顔を向けると、彼の青い頬が急速に紅くなった。
彼が、いつも挙動不審な理由は。
彼が、テーブルに物を置くときにのけ反る理由は。
彼が、似合わない居酒屋に毎日通う理由は。
「私のことがす…」
「呉本!お客さんだぞ!」
店長の怒鳴り声に、我にかえる。
「い、今行きます!」
慌てて新しい客のもとに走る。
危うくバカな質問をするところだった。
自分のことが好きなのかなんて、自意識過剰にも程がある。
よし、集中、集中!
私は邪念を追い出すように頬を叩いた。
後に、彼から自分を注文されることになるとは知らずに。