君が望むもの-1
俺はまだ、君に何も伝えていない
何ひとつ――
ロータリーを行き交う人の中でその姿を見つけクラクションを短く鳴らした。振り返った変わらない顔に手を上げると、ニコリともせずタクシーの間を縫うように車へ向かってくる。
下を向きがちに目だけを上げ、周りをうかがいながら歩くようになったのは、退学する少し前からだったような気がする。
灰皿にタバコをこすりつけ火を消すと助者席のドアが開き、高井はこちらを一瞥もせず乗り込んできた。
「なんで木原が迎えにきたの?」
オートマチックのギアをドライブに入れ車を発進させる。
「5年ぶりなのに挨拶もなしかよ」
視線を向けてくるのが分かった。高井はただタバコくさいと文句を言うだけだった。
「親父さんに頼まれたんだよ」
駅前の信号を左折すると車はスムーズに流れ出す。ボリュームを落としたFMラジオがはっきり聞こえる程の沈黙に絶えきれず、ひとつ咳払いをした。
「どうしてた?」
「何が聞きたいの」
「全てだよ」
鼻で笑って高井は応えなかった。
「今さら」
時が経てば忘れられると思っていたのは、自分だけだと知らされた冷たい言葉に胸が痛んだ。
赤信号で止まり、子供の頃共に自転車で走り回った道を眺めた。
近所で育てば自然と仲良くなり、気が合わなかったら小中高を共に通う事もなかっただろう。
高井は誰よりも飽きやすく、そのせいでいつも新しい何かを探している子供だった。それでも木原にとって友達の内の一人だった。
それが変わったのは高校1年の夏前。
窓側の一番後ろの席で高井はいつもグラウンドのさらに向こうを見ていた。
横に座る友人と話していても斜め後ろを振り返っては、その横顔に話しかけ気のない返事を待った。
「高井眠そうだな」
昼休み机に突っ伏しているその後頭部に買ってきたパンを落とすと、薄く目を開け上げた顔が別人に見えて心臓が一度ゆっくりと跳ねた。
自分のイスを引きずってきてひとつの机を挟んで座り、もう一度見慣れたはずの顔を見た。
袋の端をつまみ上げて何度か繰り返した後、全てを腕で木原の前へ押した。
「家帰らないでどこ行ってるんだよ」
今朝、高井の家の前にさしかかると、待ち構えていた様に玄関から出てきた母親に、全く知らない事実を相談された。
「親に聞いてこいって言われたの?」
高井は無造作に伸びた髪に指を通した。
「おばさん心配してた」
何故か高井は口に笑いを含み、また窓の外に視線を向けた。
髪から漂う甘い匂いと、白いシャツの襟元からみえる細い首に目を奪われ、ごまかすようにパンを口に放り込んだ。
判っていた。高井は学校の外に新しいものを見つけてしまったのだと。
「木原、俺、好きな人がいるんだ」
半袖から伸びる腕をつかめば戻って来てくれるのかな。幼い頭でいくら考えても、答えは見つからなかった。
道路脇に車を止めハザードをつけた。
「何かほしいものある」
首をふる高井を見届けドアを閉めてコンビニの自動ドアをくぐる。
見通しのいい店内から助手席の窓に肘をのせ頬杖をつく高井を盗み見た。その伏せた目に俺が映ることはない。