僕とアリス-1
僕は東京郊外の由緒ある裕福な家に生まれた。母は僕が幼い頃病気で亡くなった。父はいつも仕事で忙しく僕の世話は使用人任せだったが代わりに欲しいものは何でも与えてくれた。僕の8歳の誕生日が近くなったある日、父に何か欲しいものは?と聞かれ、こう答えた。
「妹が欲しい。」と。特に意味はない。仕事ばかりであまりかまってくれない父を困らせたかっただけだ。
誕生日当日、僕のバースデーパーティが開かれた。親戚や父の友人、部下達が大勢来た。ケーキやご馳走、たくさんの祝いの言葉。しかし周りは大人ばかりで友達など来ていなかったから退屈で仕方なかった。大人達はパーティなどと理由付けて、ただ単に酒を飲んで騒ぎたいだけなのだろう。僕は一人部屋に戻った。
本棚から絵本を取り出してペラペラとページを捲る。僕は絵本を読むのが好きで暇さえあれば、いつも読んでいた。中でも『不思議の国のアリス』がお気に入りでボロボロになるほど読んでいた。
しばらく読み耽っていると、不意にドアがノックされた。
「ぼっちゃま、旦那さまがお呼びですよ。」
乳母がドアを開けながら言った。
「パーティに戻らなきゃいけないって?やだな。つまんないんだもん。」
唇を尖らせながら僕は渋々立ち上がった。
「パーティはもうお開きになりましたよ。旦那さまがぼっちゃまにプレゼントを渡したいそうです。」
「ふーん。でもきっと僕が欲しいものじゃないよ。」
「あら、どうしてですか?」
「だってわざと無理なコト言ったから。」
首を傾げる乳母の横を通って、父のいる書斎へ向かった。
「おぉ。来たか。そこのドアを開けてごらん。」
父が得意気な顔で書斎の奥にあるドアを指差す。僕は疑問符を頭に浮かべながらドアを開けた。
―そこには日本人離れした顔立ちの小さな女の子がいた。青みがかった緑の瞳、ランプの明かりで金色に透けている髪、頭にのった赤い大きなリボン。僕は思わず呟いた。
「―アリスだ…。」
「ははは。不思議の国のアリスか。確かに似てるかもなぁ。よし、この子の名前はアリスにしよう。今日からお前の妹だぞ。」
父は満面の笑みで言った。
「えぇ!?妹?ほんとに?」
「あぁ、そうだ。この子は身寄りがなくてな。孤児院から引き取ったんだよ。少し異国の血が混ざっているらしい。仲良くするんだぞ。」
そう言うと父は笑いながら部屋を出ていった。
二人きりになって僕は改めてアリスを見た。アリスは少し涙ぐんで俯いている。僕は思い切って話し掛けた。
「こんばんは。アリス。僕は翔太郎。今日から君のお兄ちゃんだよ。」
「……。」
やはり俯いたまま。無理もない。いきなり知らない場所に連れてこられ、初対面の少年に今日から妹になれと言われてもわけがわからないだろう。しかし、もう一度めげずに話し掛ける。
「今いくつなの?」
するとアリスは黙ったまま指を四本立てた。
「四つかぁ。」
僕はやっと反応してくれたことがうれしくて思わず微笑んだ。アリスもそれを見て堅い表情が少し和らいだ。
「おいで。アリス。家の中を案内してあげる。」
僕が手を差し出すと、アリスはキュっと手を握ってきた。二人手をつないで歩きだす。
「ここは書斎。お父さんの仕事場だから用がない時は入っちゃだめだよ。それからここがリビング、向こうがキッチン、あっちはバスルームだよ。そっちは裏庭。プールがあるんだ。」
アリスは黙って僕についてくる。そのまま二階へ上がった。
「ここが僕の部屋だよ。…あれ?」
さっきまで空き部屋だったはずの隣の部屋のドアが開いている。覗いてみるとフリルとピンクがいっぱいのかわいい女の子用の内装になっていた。
「きっとここがアリスの部屋だね。」
そう言うとアリスは僕の手を離しキョロキョロしながら部屋に入っていった。すると乳母が部屋に入ってきた。
「あら、今呼びに行こうと思ってましたのに。さぁさ、お二人とも。そろそろ寝る時間ですよ。お嬢ちゃま、着替えを手伝いますね。ぼっちゃまも早くお部屋に戻ってくださいな。」
乳母がテキパキとパジャマなどを用意しながら言うので僕はおとなしく部屋に戻ることにした。
「じゃあね、アリス。おやすみ。」
―眠りについてどれくらいしただろうか…、ふとドアの開く音に目を覚ますと入り口にアリスが泣きながら立っていた。
「アリス?どうしたの?」
アリスは泣いたまま何も言わない。
「怖い夢でも見たの?お兄ちゃんと一緒に寝る?」
布団を捲って手招きするとアリスはこくんと頷き素直に入ってきた。
僕に寄り添うアリスから甘いミルクのような匂いがした。
「もう怖くないよ。安心しておやすみ。」
布団をトントン叩きながら精一杯兄貴ぶる。やがて寝息をたて始めたアリスを見て嬉しさに浸りながら僕も再び眠りについた。