「ゆりかごのある丘から」-1
そこは旅の途中で一度だけ、訪れたことのある小さな街だった。「街」と言っても、人はあまり多くなく、のどかで、ひばりの声が空高く響いている。その街外れの小高い丘でちょっと変わったことがあった。青々とした草原の中心・・・ちょうど丘の頂上となるあたりに、ぽつんと一つ、葛の蔓で編んだゆりかごが置いてある。ゆりかご、といっても赤ん坊が寝るような小さなゆりかごではなく、子供が入って遊べる遊具のような物だった。となりには2、3メートルくらいの楠の木が植わっている。それだけならば、なんら変わったところはない。
ただ、私がその街に滞在していた一週間、毎日のようにその楠の木の根元に腰掛けている老人がいた。老人はこぎれいな身なりをしていたが、足が悪いらしく、右足を引きずって歩いていた。彼は朝方になるとやっとの思いで丘を登り、木の根元に腰を下ろした。そして、日がな何をするでもなく遠くを眺めている。やがて日が暮れると、転ばないよう、慎重な様子で丘を降りていった。
その街に来てから三日目。そろそろ観光にも飽きてきたので、私はそのゆりかごのある丘に登ってみることにした。正直、この街に来た時からあの老人が気になって仕方がなかったのだ。
その丘は春ももう終わる頃だというのに、うらうらとちょうど良い日が差し、ところどころにスミレの花が群生していた。遠くから見る分にはなだらかな丘なのだが、実際に登ってみると少しつらい。こんな斜面をあの足の悪い老人は毎日登り降りしているのだ。
ほんの少し、息を切らしながら歩みを進めていくと、老人の横顔がだんだんと近くなり、老人も私に気づいたようだった。
「どうしたかね、こんなところまで」
想像していたよりずっと若い声で老人は尋ねた。
「いえね、三日前にここに来たばかりなんですけれども、あなたが毎日ここにいるものだからつい気になってしまって」
老人はもう何年もそうしているかのように、あごのひげをひと撫ですると、軽く笑いながら
「そこの宿屋か。たまぁにあんたのような旅の人がくるよ。なにしてんのさ?ってね。わたしはあの宿屋の三軒隣に住んでいるんだが・・・ほれ、ここからようく家の中が見えてしまうだろ? だから仕立て屋に二枚重ねのカーテンを作らせたりしてな」
と、私が泊まっている宿屋の方を指さして老人は説明した。
「ご迷惑だったらすみません」
「いや、かまわんよ。むしろ聞いてほしい話がある。まぁよくある下らん話だがな」
老人は開襟シャツの襟を軽く正すと、丘から一番よく見える青い山の端らへんに目を向け、話を始めた。私も老人の隣にゆっくりと腰を下ろした。