*** 君の青 最終回***-7
「好きなのに。こんなにお前が、好きだったのに」
カウンターを力いっぱい殴り、突っ伏した。
悲しみと悔しさと、自己嫌悪が僕の防波堤を超え、どっと外へあふれ出た。
「・・・雫」
電話のベルが鳴ったのは僕の呟きとほぼ同時だった。本当は無視したかったものの、もしかして雫からじゃあ、という予感が僕を走らせた。
「もしもし」
低い声で、僕は言った。
「もしもし?・・・絆君?」
受話器の向こうから、聞き覚えのある懐かしい声が聞こえてきた。
「私よ、覚えてる?」
と、その人は言った。
僕の予想が正しければこの人は多分、
「もしかして・・・雫のおばさん?」
自分がこれほど無力な人間だとは思わなかった。
結局僕は自分の事だけで頭がいっぱいな、好きな女のことなんて何もわかっていない、大馬鹿やろうだったのだ。最低だ。優しく降る雪も、全力疾走すれば障害になる。目の前をふさごうとする雪を片手で拭いながら、僕は暗闇の中を走った。吐き出された息は、白くなったかと思うと流れて消える。雪だってそうだ。僕に触れれば溶けてなくなる。今の僕を止めることができるものなんて、どこを探したってありはしない。僕が立ち止まるときは、雫を見つけ出した時だ。ただそれだけ。
家を飛び出したのは、ついさっきのことになる。雫のおばさんの話も途中で、気がついたら受話器をぶん投げてコートを片手に外へ飛び出していた。おばさんの話を聞いていたら、いてもたってもいられなくなったのだ。
「絆君?絆君なのね?」
おばさんは切羽詰った口調で言った。
「ど、どうしたんですか」
「雫、そちらにおじゃましてないかしら?」
僕は息を飲んだ。あいつ、家出だったのか。僕はてっきり、しっかりしているあいつのことだから家の人に言ってからきたのかと思っていた。
「あの、さっきまでいたんですけど、急にいなくなっちゃって」
「やっぱりあなたの家に?」
深刻そうな声だ。何かあったんだろうか。
「あの・・・」
僕が話そうとすると、おばさんがそれをさえぎって言った。
「あの子、雫は心臓が悪いの。病気なのよ。すぐに手術が必要なの!それなのにあのこったら人の目盗んで、病院抜け出して・・・ねぇ、絆君、雫、倒れたりしなかった?」
全身の血の気が引いた。手が震え、まばたきを忘れた。雫が心臓を患っていたなんて、そんな、何かの悪い夢だ。あんなに元気だったじゃないか。
「今、手術をすれば助かるのよ。ねぇ、絆君、お願い。あなたしかいないの、雫をすくえるのはあなただけなのよ」
僕がおばさんの話を聞いていたのは、そこまでだ。まだ何か話していたような気がするが関係ない。ようはあいつを、雫をとっつかまえて家に帰せばいいのだ。僕は走った。自分でも驚くくらい、力いっぱい全力で風を切った。あごが上がり、足もがくがくして息が切れ切れになっても、立ち止まる気なんて毛頭なかった。こんな苦しみなんて、雫に比べたら・・・僕は首を振った。
・・・比べられない。あいつはもっと苦しかったんだ。心臓病を隠して働いて、 笑って。
いつかの晩、僕の布団にもぐりこんできたのだって本当は怖い夢を見たせいなんかじゃない。
きっと、きっと長い夜、一人でいるのが怖かったんだ。病気の恐怖に、不安に押しつぶされそうだったんだ。と、十字路を左に折れようとした時だった。足がもつれて、天地が逆転したかと思うと、僕はその場に転倒してしまった。