＊＊＊ 君の青 最終回＊＊＊-8
「・・・てっ」
立ち上がろうとする右足に、激痛が走る。
右腕のひじも焼けるような痛みだ。僕はよろよろと立ち上がり、足を引きずりながらも前へ進んだ。
「待ってろ、雫。今、迎えに行ってやるからな」
目の前がかすんで見える。冗談じゃない。こんな大事な時に。
「雫」
一瞬、かすむ景色の中に彼女の姿を見たような気がした。しかもそれは、現在の雫じゃなく、昔の最後に僕の家へきたあの日の彼女だった。転勤の話をして、別れを告げ、そして一度立ち止まり、ゆっくりと振り向いて、・・・青い鳥の本、借りていくね。
再び僕に背を向けて外へ出て行く雫。僕はただ、黙って彼女の小さな背中を見送った。弱かった。度胸がなかった。もしもだけを考えていた。言えないまま彼女を失うなんて嫌だ。それだけは絶対に嫌だ。
そう思うと、僕の足は再びあの場所へ向かって走り出していた。痛みは消え、疲れは我慢できた。そうだ、もう二度とお前に背中を向かせたりなんかさせない。振りむかせるるなんて、つらい思いは絶対にさせない。
「お前は、僕が守ってやる」
森が見えてきた。
あそこの頂上にはきっと彼女がいるはずだ。僕はスピードを緩めずに森へ入った。
ここは駆け上がれば雫に会える。その想いだけが、今の僕の原動力となって背中を押してくれた。曲がりくねった細道を行き、途中何度もつまづきながらもやっとのこと例の草むらまでたどり着いた。
やっぱり雫はここへ来ていた。長く伸びた草は、モーゼを向かえる海のように割れている。彼女が通った証拠だ。草むらを抜けると、右手の大木の陰に小さな背中が見える。僕はほっと胸をなでおろし、かわりに大きな息を吸い込んだ。そっと雫へ歩み寄り、無言で隣りに腰を下ろす。雫はそれに驚くことなく、汗と泥にまみれた僕を見ながら、クスッと笑った。
「すごい汗」
まるで僕が来ることを知っていたかのようだ。
「当然だろ、走ってきたんだから。心配かけやがって」
ため息混じりに言うと、雫は、
「ごめん」
と、ぺこりと頭を下げた。
これじゃあ、怒る気にもなれない。
「いいよ。別に」
と、僕は言った。
雫は僕についた雪を払いながら、フッと目を細めて、静かに言った。
「私ね、心臓病なんだ・・・」
だったらなんで手術しないんだよ、と言ってやりたかったがやめた。彼女なら、自分から話してくれると思ったからだ。案の定、彼女は話を続けた。
「それを聞いた時、すごく怖かった。何で私だけこんな思いしなくちゃなんないんだろう。どうしてさ、両親は二人とも健康体なのに、自分だけこうなんだろうって」
「・・・雫」
本当につらそうな顔だ。
見ているだけで、こっちの胸も痛くなってくる。
「私たちの家族が引っ越したのだって、大きな病院へ入院するため。転勤なんて嘘。大嘘よ。絆にばれるのが怖かったの。絆まで私のこと、壊れ物を扱うような態度を取り出したらどうしようって思ったら言えなかった」
「ばぁか。そんなわけないじゃん」
と、僕は言った。
「うん。ごめん」
雫は舌を出して、笑った。けれどいつもの明るさはなく、ただの空元気にしか見えなかった。僕はそっと雫の肩へ手をおき、優しく引き寄せた。彼女はためらうことなく、僕の肩に頭を横たえ、耳元で「ねぇ」と呟いた。
「ん？」
「入院している時にね、小さな窓から同じ景色を眺めてていつも思っていたの。こんな私の幸せはどこにあるんだろう。ちっちゃい頃に探した青い鳥はどこだろうって」
「だからここへ？」
「ここならいると思ったのよ」
「・・・・・・いた？」
僕の質問に、雫はコクリと頷いて答えた。
僕は着ていたコートを脱ぐと、それで彼女の小さな体をつつんでやった。
「私の青い鳥はね」
そう言いかけると雫は、僕のコートのはじをつまみ、僕によりくっつくと今度はそれを僕肩までかけてくれた。コートの暖かさよりも、雫の暖かさの方がずっと暖かい。