『SWING UP!!』(第1話〜第6話)-37
京子がプレートを踏みしめて、大きく振りかぶる。その指先に収まる軟式ボールは、ひとさし指と中指でボールに爪を立てるという特異な握り方をされていた。
(揺れて落ちる球。投げられるのは、アンタだけじゃないよ!)
ぐん、と腕が振られ、指を弾くようにしてボールをリリースする。
「!?」
回転数が全くないそのボールは、ゆらゆらと不安定な変化を見せ、桜子の目の前で急激に落下した。
「な、なんだ!?」
松永が度肝を抜かれたように、その球筋を見送る。
「!」
揺れて落ちて、地面を抉ってイレギュラーしたそのボールを、やはり桜子はいとも簡単に捕球していた。
「♪」
その鮮やかなミットの運びに、京子が口笛を鳴らす。
(ナックルって、変化球サーブみたい)
桜子の方はというと、国際大会の試合で韓国代表のとある選手が放った、まるで稲妻のようにジグザグを繰り返してコートに襲いかかる“変化球サーブ”に苦しめられた過去を思い出していた。ボールの回転を殺し、空気抵抗をまともに受けさせて不測の変化を起すボールの軌跡は、このナックルとまったく同等なものだ。
「お、おい審判!」
「?」
ミットに収めたボールを確認しようとした桜子だったが、不意に打席で叫びだした松永の声に動きを止めた。
「いま、ヘンな変化をしたぞ! インチキだ! ボールを調べろ!」
「はぁ!?」
さしもの桜子も、唖然としてしまう。
「おい、よこせ!」
怒気を孕んだ松永の醜悪な顔つきに、むっ、としながら、それでも桜子は素直にボールを渡した。
「へへ、絶対にグリスの痕が……」
ボールを手のひらで転がし、不正の痕を調べる松永。マウンド上の京子は、そんな彼を哀れみの目で眺めていた。後ろめたいことが、なにひとつとしてないことは、投げた本人がよくわかっている。大学時代に、爪を何度も剥がし指を血に染めて、ようやく取得した変化球にケチをつけられたのは不快だが、“せいぜいあがくのね”と白眼視をむけることで溜飲をさげておいた。
「………」
すぐに松永の顔色が青くなった。手にしているボールは、地面を抉ったことによる土汚れこそ目立ったものの、傷もなければグリスの痕も存在しなかったからだ。
「バ、バカな! あんな変化、俺だってグリスを使って、やっとなのに……!」
「!」
は、と松永が口をつぐむ。しかし主審は、彼の言葉を聞き逃してはいなかった。
「松永さん、ちょっとすまないな」
「な、なにをする……おい!」
異常なものを感じ取って、近くにきていた塁審たちが彼の腕を押さえ、主審が松永のポケットを弄る。
「………」
すぐに、乳白色の軟膏が入った小型のプラスチック容器が取り出される。そして、中央部の凹みが真新しいそれは、試合中に使用されたことの証であった。
「はぁ……」
主審が哀れんだようなため息をこぼす。不正をしてまで勝利を貪欲に求める彼の姿勢に、さすがに嫌気がさしたのだろう。桜子への顔面死球といい、京子への敬遠策といい、どうにも松永の試合運びはクリーンさがなさすぎる。
「おいおい、どうしたどうした?」
不穏な空気を察して、既に試合を終わらせ観戦していた鈴木が寄ってきた。
「ああ、鈴木さん。実は……」
主審が事情を説明する。
一瞬、その眉をゆがめた鈴木だったが、すぐに陽気な顔つきを取り戻して、
「まあ、松の字も魔が差したんだろうよ」
と、穏やかに言った。
「公式の試合ってわけじゃないから、そんなに目くじらをたてなさんな。それに、結果を見てみろよ」
鈴木が、スコアボードを指差す。
「完全に、力負けしてるじゃないの」
不正をして勝利を収めたのならば考えものだが、シャークスは相手に追い詰められている状況だ。