『SWING UP!!』(第1話〜第6話)-181
それで白羽の矢が立ったのが、大和だったのである。
『お願いします』
長い大学の夏期休暇期間をどのように過ごそうか考えていた折でもあったので、大和は風祭の申し出を受け入れていた。自分にとってこれほどおあつらえ向きのバイト先は、他に考えられない。
「草薙くん、ボールの片付けお願いね」
「あ、はい!」
レジ周りで事務作業をしていた風祭の細君・峰子の言葉を受けて、備品の整理をしていた大和はすぐにブースの中に入り、その至るところに散らばっている軟式ボールを集め、“補充溝”と呼ばれている場所をそのボールで一杯にしておいた。 稼動を始めたピッチングマシーンがそれを吸い上げ、常にボールを確保できるようにするためだ。
その後、ブースの中でやや乱雑になっていたヘルメットやバットも整理する。 大和が“豪快一打”でアルバイトを始めてから間もないのだが、なかなか慣れた動きを見せていた。
「大和ぉ。それ終わったらさ、晩飯にしようぜ」
「わかりました」
もう一人の従業員である峰子の弟・満が、かなり大きな工具箱を片手に、大和に声をかけてきた。
高校を卒業してからすぐに"豪快一打"のスタッフとなっていた満にとって、アルバイト店員とはいえ、大和は初めての後輩である。それが嬉しいようで、彼はことのほか親しく接してくる。ちなみに、工業高校の出身である満は、マシーンの整備を担当していた。
「姉ちゃん、晩飯いってくる」
「満、店では“副店長”と呼びなさいって」
「あ〜い」
聞き流したとしか思えない言葉を返してから、満は大和を連れて“豪快一打”の真向かいにある定食屋・“まんぷく”に入っていった。
「いつものやつ?」
「そうですね。それで」
「おばちゃん、日替わりふたつね」
「はいよぉ」
満も、定食屋のおばさんも、互いに慣れたものである。なにしろ、ほとんど毎日、夕飯はこの定食屋で済ましているのだから、それも道理だ。さらに、満にとっては小さな頃から親しんでいる店でもあり、それが、気のおけない両者の関係を生み出している。
「しかし、なんだな……」
今日のメニューである鶏の唐揚げを美味そうに頬張りつつ、満が大和に言う。
「まさか、“甲子園の恋人”と一緒に働くことになるとは思わなかったよ」
「藤島さん」
“藤島”というのが、満の姓である。満は始めから大和のことを名前で呼んでいるが、さすがに遠慮があるので大和は彼のことを姓で呼んでいた。
「なんか、実感ないけど」
「昔のことですから……」
甲子園で騒がれていた頃の話題は、正直、大和は避けたい。相手もそういうところは察しているらしいが、どうにも興味が先行してしまっているようで、話は続いている。
「すごかったからなあ。テレビも雑誌も、そのことをやらない日って、なかったもんよ。なんつーか、"近藤 晶"の一件以来だったな、あんなに甲子園で世間が騒いだのは」
「………」
性別を偽って甲子園のマウンドに立ち、気まぐれな風によって一球も投げることなく聖地を去った女投手の物語は、甲子園に関わる者なら良く知る伝説だ。
今から10年以上は前の話になるので、その時は小学校だった大和にとっては、“そういうことがあった”という認識しかないのだが、当時・母校の城北工業高校で野球部に入っていたという満は、その出来事を鮮明に覚えているらしい。
「次から次へと、いろんなヒーローが出る場所だよなあ」
満の独り言は、大和の感傷を誘った。
(甲子園か……)
既に本大会は始まっている。ちなみに大和の母校である久世高校は、予選の早い段階で敗れていた。
遠い昔の記憶になったとはいえ、そのことに想いを馳せれば、たちまちにしてその熱気が大和の肌を覆う。確かに不本意な形でマウンドを去ることにはなったが、その瞬間と時間のかけらは、全て特別なものとなって心の中に残っているのだ。